| 解説 谷 徹 反省が理論的(テオリア的)な営みだとすると、反省以前の次元は実践的(プラクシス的)な次元である――この場合の実践は、理論の応用や実行でもなければ、理論理性の上位次元でもなく、理論に先行する次元である。(中略)ただし、世界は「受動的原信念」と言う仕方で経験されている。(中略)自我は「対象」に(中略)「能動性」を発揮するが、その能動性は、あくまでも対象の地盤として(目立たない)世界の存在の「受動的原信念」を前提しているのである。 (中略) 反省以前には、自我は、それが反省において形成しようとする閉域をまだ形成しておらず、世界の存在に開いているのである。この開いた関係のなかには、身体が介在し、さらにまた間主観的な他者が介在している。自我は、この開いた関係の中で動機づけられている。(中略)実践という問題次元は、 こうして、現象学は、反省哲学を克服して、この新たな開放的・動的関係を見出す。しかし、これは、反省や対象化という方法の自己克服を要求する。この時、現象学的な この点を踏まえると、新田氏の試みがいっそう明確になるだろう。つまり、氏は、地平と自我の閉域とを越えて、存在者(意味)と存在(意味母胎)との関係を問い、しかも後者から前者が生じてくる運動をその内側から解明しようとしているのである。 |
第二節 現象学の意図と方法 |
TRPGの解釈学性は、このディルタイの解釈学論においては、体験―表現―了解の円環過程のうちにあり、創造的力動的作用と見られるべきである。ディルタイが解釈(Interpretation,Auslegung)と呼んでいる技術とは、了解が、固定された表現をとおして表現以上のものを追体験してゆくに必要なものだと言える。
そして、了解には「受容する」能力と「自己活動的に形成する」能力とが分かちがたく統一されているから、了解や解釈が受容的にして同時に創造的であるゆえに、「著者を、著者自身が自己を了解していた<よりもよく(ベッサー・アルス)>了解することが必要である」と唱えることができる。
しかしディルタイが審美主義的立場に立つ方向へ向かうとなると、拒まざるを得ない。
『了解や解釈が受容的にして同時に創造的である』とするならば、審美主義的立場は、創造的力動的作用との主張に反し、静動、静観、いわゆる、お地蔵さまプレイを正当化する。
TRPG論考者が、しばしば、そのような審美主義的プレイに陥ることがあるのは、新カント学派の形式的かつ固定的な「主観―客観―関係」に固執したTRPGのもつ変化に対する警戒と防禦的後退とも言える姿勢によって貫かれたか、または、ディルタイと同じような陥穽に嵌り、TRPGの「遊び」もしくは「ゲーム」の、創造的力動的作用を、TRPGの中のセッション中に発揮できないのかもしれない。
実のところ、了解というものの中に解釈と言う技術があるならば、そればかりではなく、表現にも解釈を根底においた技術があるはずだと僕は思う。
| 第一部 現象学と解釈学――その接近と提携 第一章 現代ドイツ哲学の動向――学的認識から経験へ 第一節 新カント学派から生の哲学へ 新カント学派の歴史認識論 新カント学派の形式的かつ固定的な「主観―客観―関係」に固執したこの試みは、科学的認識に対して外部から付加された認識論としての素朴性を脱却していないばかりか、(中略)現実のもつ変化に対する警戒と防禦的後退とも言える姿勢によって貫かれている。 生の自己了解 生動性はけっして客観的観察によって捉えることはできず、むしろ内からそれを気づくしかないところのものである。この「気づく働き(Innesein)」は、「気づく作用」と「気づかれる内容」との分離できない統一態であり、それ自体、直接的な自己確実性を意味している。ディルタイはこれは「体験」の統一性として見出すのである。(中略)「体験は、その諸部分が共通の意味によって結合されている統一のことである」とディルタイはいっている。 (最も注目さるべき点は)生の自己了解が単に過ぎ去ったものの再生的反復ではなく、むしろ生をまさしく生たらしめている生の自己創造的な営みであるという点である。表現はそれなりに表現される体験内容の単なる反復と言うよりも、生の深層部まで照らし出す働きを有し、了解もまた了解者にとって表現以上のものをもたらすと言う意味で創造的である。体験―表現―了解の円環過程は、反復運動ではなく、生の汲み尽しがたさを表す創造的力動的作用と見られるべきである。 了解が、固定された表現をとおして表現以上のものを追体験してゆくには技術が必要であり、ディルタイはこの技術を解釈(Interpretation,Auslegung)と呼んでいる。 (中略) (アリストテレスの詩学、キリスト教の聖書解釈、シュライエルマハーによって、了解が作品の創造過程の追構成であり、創造する精神の源泉にまでたどり直す方法とされたのであるが、ディルタイによれは、それは)了解には「受容する」能力と「自己活動的に形成する」能力とが分かちがたく統一されているからにほかならない。このように、了解や解釈が受容的にして同時に創造的であることに基づいて、「著者を、著者自身が自己を了解していた<よりもよく(ベッサー・アルス)>了解することが必要である」と言う命題が成り立つ。 歴史的相対主義とディルタイの限界 (中略)しかし生の概念が不規定であるために、いずれのモチーフも徹底して問い抜かれず、知の根源性の問題はフッサールの現象学によって、生の自己了解の根源的事実性の意味はハイデガーの存在論によって、それぞれ改めて問われることになる。 |
| 現象学と解釈学 新田義弘(ちくま学芸文庫) | |
| まえがき | |
| 第一部 現象学と解釈学――その接近と提携 第一章 現代ドイツ哲学の動向――学的認識から経験へ 2.TRPGの解釈論性:解釈こそは技術である 3.TRPGの解釈論性:現象学は学の域を規定する 第二章 現象学の歴史的諸展開――本質現象学から「人間と世界」の現象学へ 第三章 現象学研究の現況――生活世界と地平と現象学 | |
| 第二部 反省理論と解釈理論 第四章 現代哲学の反省理論 第五章 解釈学の現況 第六章 解釈学の論理と展開 | |
| 第三部 現象学の近代批判 第七章 ハイデガーによる技術批判 第八章 フッサールによる科学の客観主義批判 第九章 フッサールの目的論と近代の学知 | |
| 第四部 媒体性の現象学への道 第十章 近さと隔たり――隠れたる媒体についての所感 第十一章 現象学に課せられたもの 第十二章 現象学的思惟の自己変貌――フライブルク系現象学の現代的展開への展望 | |
| 初出一覧 あとがき 解説 谷 徹 4.TRPGの解釈論性:解説から。 索引 |
| 現象学と解釈学 (ちくま学芸文庫) メーカー:筑摩書房 価格:¥ 1,575 新品価格:¥ 1,575より | |
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| 解説 谷 徹 これは氏に対する賛辞というよりも、むしろ単なる事実誤認だが、この事実をわざわざ確認したのは、現代の「わかりやすさ」症候群に陥った読者には、本書を読む上で、ある種の「覚悟」を決めていただきたいからである。そもそも「わかりやすい」というのは、既成の概念の枠内(閉域)に収まっている、ということだろう。しかし、そうした枠組みですべてが理解できるなどと考えてはなるまい。むしろ、そうした枠組みを開き、突破して「知」を希求するのが、まさに哲学者である。そういう哲学者の書いた哲学書として、本書は、入門書のようには読めない。しかし、氏とともにと突破を成し遂げた読者には、大きな知的感動――あえて言えば知に貫かれるような感動――が待ち受けているだろう。 |
| 第二部 反省理論と解釈理論 第六章 解釈学の論理と展開 第一節 解釈学の論理を制約しているもの とにかく解釈学の論理の事象的な基盤となっているものは、いったい何であるのだろうか。(中略) まず第一に挙げられるのは、人間の知が原理的に免れえないパースペクティヴ性(Perspektivitat)または視点による拘束性(Gesichtspunktgebundenheit)である。第二に(中略)人間にとって生きられる論理としての「有機体(Organismus)」の論理が挙げられる。さらに、第三に記憶の固定化としての書物(Schrift)の原理が挙げられる。 第二節 解釈学的循環 哲学的解釈学の展開 まずこの循環の働きが知見(ケントニス)を学問にまで高める場合に必要であること、そしてとくにテクストの読解(レーゼン)において生起すること、このことを定式化したのは、シュライエルマッハーである。彼は次のように語っている。 「どんな場合でも完全な知識は、この見かけのうえの円環の内にある。すなわち個々の特殊なものは、それが部分をなしている一般的なものからのみ理解されうるとともに、その逆でもある、という円環の内にある。そしてどのような知識であれ、このように形成される場合にのみ学問的である。だから解釈されねばならないものは一度に理解されるのではなく、むしろどのような生も、先行的な知見(フォルケントニス)を豊かにすることによって初めて、よりよき理解をもたらすことができる。重要でないものの場合には、われわれは一度に理解されたもので十分である」 |
| 1 | さすらいの口笛 | エンニオ・モリコーネ楽団 | |||
| 2 | 荒野の用心棒 | エンニオ・モリコーネ楽団 | |||
| 3 | 夕陽のガンマン | エンニオ・モリコーネ楽団 | |||
| 4 | 荒野の1ドル銀貨 | マッチ・デ・レオーネ楽団 | |||
| 5 | 続・荒野の1ドル銀貨 | マウリツィオ・グラフ/エンニオ・モリコーネ楽団 | |||
| 6 | さすらいの一匹狼 | マグリオ・デ・バッシ楽団 | |||
| 7 | 続・荒野の用心棒 | ルチアーノ・パガーノ楽団 | |||
| 8 | 続・さすらいの一匹狼 | ロッシ・ビアンコ楽団 | |||
| 9 | 南から来た用心棒 | ラオール | |||
| 10 | 帰って来たガンマン | リスティ・カルダレーラ楽団 | |||
| 11 | 続・夕陽のガンマン | ウーゴ・モンテネグロ楽団 | |||
| 12 | ガン・クレイジー | ビアン・マンシオーネ楽団 | |||
| 13 | 荒野の10万ドル | ルチアーノ・パガーノ楽団 | |||
| 14 | 無宿のプロ・ガンマン | ルチアーノ・パガーノ楽団 | |||
| 15 | 皆殺し無頼 | ワイルダー・ブラザース | |||
| 16 | 怒りの荒野 | リズ・オルトラーニ楽団 | |||
| 17 | 星空の用心棒 | ルチアーノ・パガーノ楽団 | |||
| 18 | 復讐のガンマン | ルチアーノ・パガーノ楽団 | |||
| 19 | 真昼の用心棒 | グレコ・デ・アンジェリス楽団 | |||
| 20 | 情無用のコルト | ニコ・フィデンコ |
| ベスト・オブ・マカロニ・ウエスタン メーカー:BMG JAPAN 新品価格:¥ 1,695より ユーズド価格:¥ 1,600より | |
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| ノエシス・ノエマ 意識現象をノエシス-ノエマ関係で捉える。意識現象に意味統一を与えて、対象存在を構成する意識の働きをノエシスと言います。ノエシスを日本語に訳すとすれば「意識の意味付与作用面」かあるいは単純に「作用面」です。そしてこの構成された対象性をノエマと言います。 例えば色や形や重さや匂いなどの感覚諸要素を素材にして薔薇という対象を意識が構成するとしますと、この構成する働きがノエシスで、構成された意識としての薔薇は対象面として捉えられています。この意識の対象面としての薔薇がノエマに当たるわけです。 フッサールの現象学 |
| フッサール さて、数学者フッサールははじめ、ブレンターノのいわゆる記述心理学の影響を強く受けて、全体と多、基数や序数など集合論や数論の基本概念の起源を人間の心理過程のうちに求めようとしたが、やがて、数というものを「数える」という心的作用による構成物とみなす心理主義的な考え方に批判的になる。 (中略) 『イデーンⅠ』(1913)への展開の中で、フッサールは、心理主義と論理主義の対立を止揚するような新しい立場を提示する。意識の志向的分析という立場である。そこでは、主観的な認識体験と客観的な認識内容(イデア的対象)との相関関係が、志向性という意識の動的連関(ノエシス-ノエマ連関)として捉えられる。いかなる存在であれ、それが対象として意味をもっているかぎり、それに対応する意識の構成的な作用に遡って関係づけられねばならない、という考え方である。 意識のそうした世界構成的な働きがフッサールのいう超越論的主観性なのであって、それへと分析の作業場を転換する操作が現象学的還元である。(中略)現象学は世界から改めてそういう自明性の被いを剥ぎとり、世界がそのようなものとしてわれわれに現れてくるようになるそのプロセスを分析しようとするのである。 ところで、対象はつねに一定の<地平>のなかで与えられる。われわれがある対象を志向するときには、同時にさまざまの意味の地平が、いつもその志向をあらかじめ規定するかたちでともに働き出している。(中略)対象はつねに世界を地盤としつつ、世界の中に現れると言える。(中略)それゆえに現象学は、世界を経験するわたしたちの意識においていつも働き出しているプロセス(受動的総合)、さらにはそういう先行的な構成過程全体の時間的な生成に、より深く分析のメスを入れていくことになる。この分析作業が発生的現象学と呼ばれるものである。 そしてその過程で、現代哲学の新たな問題地平を開くようないくつかの重要な問題が浮上してくる。その核心にあるのは、超越論的な意識への還元という、現象学のもっとも基幹的な操作の不可能性という問題である。(中略)それがたとえば、身体性であり、間主観性[相互主観性]である。(中略)その後、伝統的な心身問題や他者問題、感覚論や社会性論に新たなパースペクティヴを開くものとして、現象学以外の哲学・人文社会科学の研究にも大きな影響を与えることになる。またこれらの過程全体が生活世界論として展開されるのだが、その中で、われわれがつねに現象としての世界の現れの背後に想定している科学的・客観的な世界の存立も、こうした「根源的なドクサの世界」としての生活世界に被せられた「理念の衣」にすぎないと相対化される。客観主義的な見方をとる科学においては[理念化という]方法の産物に過ぎないものと存在そのものとが取り違えられていると言うのである。この科学批判は、「究極的な基礎づけ」の不可能性、相対主義などといった現代の科学哲学の問題に大きな影響を与えた。 | |
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| 第二部 反省理論と解釈理論 第六章 解釈学の論理と展開 第二節 解釈学的循環 哲学的解釈学の展開 解釈学的循環とよばれる全体と部分との交互規定の働きを経験の次元において見出しこれに精緻な分析を加えたのは、フッサールの現象学である。フッサールは、一方で、知覚を直接に与える直観の原的明証性とみなすが、他方では、知覚を「解釈作用(deuten)」ともみなしている。(中略)志向性の規定には、方向性の契機や明証性の契機とともに意味的差異性の契機が含まれていることを顧慮すれば、このことはけっして矛盾したことではない。意味的差異性とは、志向性が何かを何かとして思念する意味規定の作用であることに基づいている。いいかえれば意味と意味されるものとの間に起こる差異化の働きである。(中略)1920年代に着手された地平(Horizont)の現象学的分析は、まさにこの差異化つまり知の意味論的パースペクティヴ性の徹底的な考察であり、現象学と解釈学との交差領域を表す原型的な現象の解明となっている。(中略)対象はけっしてそのつどの規定によっては規定し尽くせるものではなく、そこにはたえず余剰が残る。主題的規定的作用と同時にこの「より以上のもの(Mehr)」へ向かっての超出が働くのであり、この働きが地平しこうせいである。(中略)さらには、対象の完全な所与性が実現不可能ではあるが、経験の進行がそれに向かって近似化してゆく目標としての、統制的理念とし捉えられ、そのことによって経験の過程はパースペクティヴ化と脱パースペクティヴ化との緊張関係とみなされ、経験の進行のなかで科学的思惟の成立を促す運動が起きていることが探られている。 |
最近齧ったハイデガーやフッサールの現象学を適用すると、ある「めがね」には意味があり、その意味にはほかのものを想起させる作用があり、それを超えて飛び出す地平があると考える。
つまり「めがね」を知覚した時点で、意味の解釈は起こり時間的内容を持った物語がわれわれの中に含まれている内から現出する。
ちなみに、前期ヴィトゲンシュタインは、事物、事態、などと論理的に範疇をくくっていくが、それでももちろん、この「事物的めがね」には意味と想起と時間が含まれた考察である。
氷川TRPG研究室
「RPGと物語:物語とは何か」
http://www.trpg-labo.com/modules/forum/index.php?topic_id=67
「RPGと物語:物語に対する態度」
http://www.trpg-labo.com/modules/forum/index.php?topic_id=68
>今回は、「物語」に対してどのような態度で臨むか、についてだ。
>これには二つの態度がある。
>ひとつは、「物語こそTRPGだ」と考える態度。
>もうひとつは、「物語は結果」と考える態度だ。
この「物語こそTRPGだ」と展開させているTRPGのもろもろの処理は実践的プラクシスです。
そして「物語は結果」は、反省的な理論的テオリアです。
この態度の比較は別のことを論じる取り違えをしているのではないでしょうか。
テオリアを重んじるのか、プラクシスを重んじるのか、どちらでも構わないはずでしょう。
例えるなら、調理と食事のどちらを重視し、どちらが上手くできたのかを問うような取り違えです。
食事をするときに、中華を食べにいこうと、おいしい「調理」を求めて外出し、席に着いてメニューを見て、注文し、普通はわれわれは「食事」を楽しんで帰ります。これを「外食する」と言います。
「TRPGで遊ぶ」には、面白い物語になるように、時間調整や場の確保、メンツ集め、システム選択、シナリオ作り、キャラクター作り、そして、セッションを行います。ここまでが実践的プラクシスの境目です。
ゲームが終わったときに物語性が充分に発揮できたのか、予想しなかったワクワクする様な方向に行ったのか、悲惨なダイスのトラブルに見舞われ続けお話が成り立たなかったのかなどが反省的な理論的テオリアの領域です。
ですから、わざわざ込み入ったお話でもなく、きっちりと、「物語とは、展開の連鎖である」と思います。
「面白かったり、つまらない物語をTRPGのルールとマナーにのっとり」、話題に上ってくる「展開の連鎖」ではないでしょうか、と僕は思います。
世紀末からTRPGユーザーの時代は、ゲーム性が大事なのだと一部のユーザーが「困ったちゃん」になった。
権威に弱い卑しい彼らにとって、ゲーム性を語ることの理屈を信奉するのは、「卵であり鶏」であった。
それを目ざとく翻訳した人は一向に、ゲームをデザインしていないどころか、ゲームをプレイすることがデザインだとのたまい、デザインする気力を殺いで、なんと、オリジナルワールド設定さえも糾弾しようとアジテートし、ロールマスターなどを拒絶させた。
コスティキャンが論じたゲーム性は、TRPGを「味噌汁」に例えた場合、「味噌」の話。「味噌」の良いものができれば「味噌」だけでも酒の肴になる。だし汁に、「味噌」を溶いたら沸騰させないという手順的ルールを説明したもの。あの論点であるゲーム性は、あくまで「味噌」の話であって、「味噌汁」のTRPGの核心ではない。
一方、TRPGたる「味噌汁」において、物語性やストーリー性というのは、「だし汁」である。
ある、だしのとり方の説明によれば、多くは実を水からゆでることが基本。かつお、昆布、イリコだし、ケミカル系のだしを加えるのは、「その店の味を守る」ために統一感を持たせるために用いる。
このだし汁は「味噌」を味わうために用いるのではない。「味噌汁」を味わうために用いるのだ。
「味噌」「だし汁」の連関はこういうもの。
RP/Gにおいて、「G=ゲーム性=味噌」としたら、「味噌」の入っていないG=0ならば、RPGではない。RPG自体が成立しない。そしてG自体が多く濃すぎれば、飲めたシロモノにはならない。
「味噌」の構成物に熱心に取り組むのは蛇足、しかもたやすい。
いかに、コスティキャンが今は売れていないのか、一目瞭然。
コスティキャンが、見当違いをしてユーザに客観的事実や観点として信じさせる方法的欺瞞によって強弁することで、TRPGに、そしてそれを楽しむ人に、あだなすこと、混乱させること、誤解させること、惑わすことなど、本来的に注意すべき重大な汚点を、TRPGの発展に、こびりつけた。
コスティキャンはもういらない。忘れよう。見当違いの理屈の修正にどれだけの人の労力を要したのか。
いわば、デカルトの主客観論においての解釈学的循環の否定であり、「デザイナー=神」の位置づけだろう。
パラダイムの転換は、もう始まっている。
さらば、コスティキャン!
アディオス! コスティキャン!
| シーズン1 | |||||
| 1 | Pilot-Deadwood | ||||
| 第1話 | 無法地帯 | ||||
| 2 | Deep Water | ||||
| 第2話 | 虐殺 | ||||
| 3 | Reconnoitering the Rim | ||||
| 第3話 | 仕組まれた商談 | ||||
| 4 | Here Was a Man | ||||
| 第4話 | 不意打ち | ||||
| 5 | The Trial of Jack McCall | ||||
| 第5話 | |||||
| 6 | Plague | ||||
| 第6話 | |||||
| 7 | Bullock Returns To The Camp | ||||
| 第7話 | |||||
| 8 | Suffer The Little Children | ||||
| 第8話 | |||||
| 9 | No Other Sons Or Daughters | ||||
| 第9話 | |||||
| 10 | Mister Wu | ||||
| 11 | Jewel's Boot Is Made For Walking | ||||
| 12 | Sold Under Sin | ||||
| シーズン2 | |||||
| 13 | A Lie Agreed Upon (1) | ||||
| 14 | A Lie Agreed Upon (2) | ||||
| 15 | New Money | ||||
| 16 | Requiem for a Gleet | ||||
| 17 | Complications | ||||
| 18 | Something Very Expensive | ||||
| 19 | E.B. Was Left Out | ||||
| 20 | Childish Things | ||||
| 21 | Amalgamation and Capital (1) | ||||
| 22 | Amalgamation and Capital (2) | ||||
| 23 | The Whores Can Come | ||||
| 24 | Boy the Earth Talks To | ||||
| シーズン3 | |||||
| 25 | Tell Your God to Ready for Blood | ||||
| 26 | I Am Not The Fine Man You Take Me For | ||||
| 27 | True Colors | ||||
| 28 | Full Faith And Credit | ||||
| 29 | A Two-Headed Beast | ||||
| 30 | A Rich Find | ||||
| 31 | Unauthorized Cinnamon | ||||
| 32 | Leviathan Smiles | ||||
| 33 | Amateur Night | ||||
| 34 | A Constant Throb | ||||
| 35 | The Catbird Seat | ||||
| 36 | Tell Him Something Pretty | ||||
| シーズン3 | |||||
| 25 | Tell Your God to Ready for Blood | ||||
| 26 | I Am Not The Fine Man You Take Me For | ||||
| 27 | True Colors | ||||
| 28 | Full Faith And Credit | ||||
| 29 | A Two-Headed Beast | ||||
| 30 | A Rich Find | ||||
| 31 | Unauthorized Cinnamon | ||||
| 32 | Leviathan Smiles | ||||
| 33 | Amateur Night | ||||
| 34 | A Constant Throb | ||||
| 35 | The Catbird Seat | ||||
| 36 | Tell Him Something Pretty | ||||
| シーズン2 | |||||
| 13 | A Lie Agreed Upon (1) | ||||
| 14 | A Lie Agreed Upon (2) | ||||
| 15 | New Money | ||||
| 16 | Requiem for a Gleet | ||||
| 17 | Complications | ||||
| 18 | Something Very Expensive | ||||
| 19 | E.B. Was Left Out | ||||
| 20 | Childish Things | ||||
| 21 | Amalgamation and Capital (1) | ||||
| 22 | Amalgamation and Capital (2) | ||||
| 23 | The Whores Can Come | ||||
| 24 | Boy the Earth Talks To | ||||
| 写真用語辞典 メーカー:写真工業出版社 ユーズド価格:¥ 1,150より | |
| 原則1 民話の恒常的で不変の要素は登場人物たちの機能である。この場合それぞれの機能がどんな人物によって、あるいはどんな方法によって為されるか、ということとは関係がない。 | |
| 原則2 魔法民話の中に出てくる機能の数には限度がある。 | |
| 原則3 機能の継起順序は常に同一である。 |
| すべての民話にすべての機能があらわれるわけではなく、筋運びで省略、併合、統合がされる。はじまりの機能は途中からという場合もある。抜かした経過を取り戻すために後戻りすることがある。機能にはその反対の場合を含むこともある。 |
| プロップのカード | レッジョ・エミーリアでの ジャンニ・ロダーリのカード | ||
| (1)留守 | |||
| (2)禁止 | (1)禁止 | ||
| (3)違反 | (2)違反 | ||
| (4)捜索 | |||
| (5)密告 | |||
| (6)謀略 | |||
| (7)黙認 | |||
| (8)加害(もしくは欠如 | (3)加害(もしくは欠如 | ||
| (9)調停 | |||
| (10)主人公の同意 | |||
| (11)主人公の出発 | (4)主人公の出発 | ||
| (5)任務 | |||
| (6)魔法の授与者との出会い | |||
| (12)魔法の授与者に試される主人公 | |||
| (13)主人公の反応 | |||
| (14)魔法の手段の提供 | |||
| (7)魔法の贈り物 | |||
| (15)主人公の移動 | |||
| (8)敵対者の出現 | |||
| (9)敵対者の悪魔的能力 | |||
| (16)主人公と敵対者との抗争 | |||
| (17)狙われる主人公 | (10)決闘 | ||
| (18)敵対者に対する勝利 | (11)勝利 | ||
| (19)発端の不幸または欠如の解消 | |||
| (20)主人公の帰還 | (12)帰還 | ||
| (21)追跡される主人公 | |||
| (22)主人公の救出 | |||
| (23)主人公が身分を隠して家に戻る | (13)家への到着 | ||
| (24)にせ主人公の主張 | (14)ニセの主人公 | ||
| (25)主人公に難題が課される | |||
| (26)難題の実行 | (15)困難な試練 | ||
| (16)損害の償い | |||
| (27)主人公が再確認される | (17)主人公であることの再確認 | ||
| (28)にせ主人公あるいは敵対者の仮面がはがれる | (18)仮面をはがされたニセ主人公 | ||
| (29)主人公の新たな変身 | |||
| (30)敵対者の処罰 | (19)敵対者の処罰 | ||
| (31)主人公の結婚 | (20)結婚 |
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|
| 誤差ミル | 17.7 | ||
| 目標サイズ、半径m | 2 | ||
| 標的までの距離m | 20 | ||
| σからCEP基準値 | 1.177410023 | ||
| ミルからラジアン | 0.017376934 | ||
| タンジェント | 0.347573672 | ||
| 幅正規分布 | 5.754175762 | ||
| 確率 | 0.999993541 | ||
| 標的誤差 | 5.754175762 |
| 距離 | 誤差 | 標準偏差 | 確率 | CEP | |||||
| 0 | 0 | #DIV/0! | #DIV/0! | #DIV/0! | |||||
| 5 | 0.086893418 | 11.50835152 | 100.00000000000000000 | 67.75024213 | |||||
| 10 | 0.173786836 | 5.754175762 | 100.00000000000000000 | 67.75024213 | |||||
| 15 | 0.260680254 | 3.836117174 | 99.99999999998350000 | 67.75024213 | |||||
| 20 | 0.347573672 | 2.877087881 | 99.99999354140760000 | 67.75024213 | |||||
| 25 | 0.43446709 | 2.301670305 | 99.99749684213130000 | 67.75024213 | |||||
| 30 | 0.521360508 | 1.918058587 | 99.93624625183930000 | 67.75024213 | |||||
| 35 | 0.608253926 | 1.644050218 | 99.55095494455910000 | 67.75024213 | |||||
| 40 | 0.695147344 | 1.43854394 | 98.40583059880320000 | 67.75024213 | |||||
| 45 | 0.782040762 | 1.278705725 | 96.20002865975740000 | 67.75024213 | |||||
| 50 | 0.868934181 | 1.150835152 | 92.92670029465200000 | 67.75024213 | |||||
| 55 | 0.955827599 | 1.046213775 | 88.79854522335450000 | 67.75024213 | |||||
| 60 | 1.042721017 | 0.959029294 | 84.10990730630740000 | 67.75024213 | |||||
| 65 | 1.129614435 | 0.885257809 | 79.14054323091780000 | 67.75024213 | |||||
| 70 | 1.216507853 | 0.822025109 | 74.11355100471410000 | 67.75024213 | |||||
| 75 | 1.303401271 | 0.767223435 | 69.18792717821220000 | 67.75024213 | |||||
| 80 | 1.390294689 | 0.71927197 | 64.46685752716820000 | 67.75024213 | |||||
| 85 | 1.477188107 | 0.676961854 | 60.01055750694180000 | 67.75024213 | |||||
| 90 | 1.564081525 | 0.639352862 | 55.84853889308680000 | 67.75024213 | |||||
| 95 | 1.650974943 | 0.605702712 | 51.98955286172230000 | 67.75024213 | |||||
| 100 | 1.737868361 | 0.575417576 | 48.42900448276120000 | 67.75024213 | |||||
| 105 | 1.824761779 | 0.548016739 | 45.15420648428100000 | 67.75024213 | |||||
| 110 | 1.911655197 | 0.523106887 | 42.14796937088360000 | 67.75024213 | |||||
| 115 | 1.998548615 | 0.50036311 | 39.39098145519190000 | 67.75024213 | |||||
| 120 | 2.085442033 | 0.479514647 | 36.86333939517040000 | 67.75024213 | |||||
| 125 | 2.172335451 | 0.460334061 | 34.54549699477120000 | 67.75024213 | |||||
| 130 | 2.259228869 | 0.442628905 | 32.41882341684510000 | 67.75024213 | |||||
| 135 | 2.346122287 | 0.426235242 | 30.46590390128450000 | 67.75024213 | |||||
| 140 | 2.433015705 | 0.411012554 | 28.67067406932080000 | 67.75024213 | |||||
| 145 | 2.519909124 | 0.396839708 | 27.01844932161320000 | 67.75024213 | |||||
| 150 | 2.606802542 | 0.383611717 | 25.49589038595180000 | 67.75024213 | |||||
| 155 | 2.69369596 | 0.371237146 | 24.09093209706770000 | 67.75024213 | |||||
| 160 | 2.780589378 | 0.359635985 | 22.79269302968950000 | 67.75024213 | |||||
| 165 | 2.867482796 | 0.348737925 | 21.59137724773060000 | 67.75024213 | |||||
| 170 | 2.954376214 | 0.338480927 | 20.47817519040920000 | 67.75024213 | |||||
| 175 | 3.041269632 | 0.328810044 | 19.44516790847470000 | 67.75024213 | |||||
| 180 | 3.12816305 | 0.319676431 | 18.48523702378610000 | 67.75024213 | |||||
| 185 | 3.215056468 | 0.311036528 | 17.59198159554080000 | 67.75024213 | |||||
| 190 | 3.301949886 | 0.302851356 | 16.75964232106150000 | 67.75024213 | |||||
| 195 | 3.388843304 | 0.295085936 | 15.98303303255820000 | 67.75024213 | |||||
| 200 | 3.475736722 | 0.287708788 | 15.25747917545100000 | 67.75024213 | |||||
| 205 | 3.56263014 | 0.280691501 | 14.57876280257810000 | 67.75024213 | |||||
| 210 | 3.649523558 | 0.27400837 | 13.94307354759190000 | 67.75024213 | |||||
| 215 | 3.736416976 | 0.267636082 | 13.34696502044100000 | 67.75024213 | |||||
| 220 | 3.823310394 | 0.261553444 | 12.78731607838090000 | 67.75024213 | |||||
| 225 | 3.910203812 | 0.255741145 | 12.26129645447290000 | 67.75024213 | |||||
| 230 | 3.99709723 | 0.250181555 | 11.76633626357170000 | 67.75024213 | |||||
| 235 | 4.083990648 | 0.244858543 | 11.30009894793460000 | 67.75024213 | |||||
| 240 | 4.170884066 | 0.239757323 | 10.86045726742050000 | 67.75024213 | |||||
| 245 | 4.257777485 | 0.234864317 | 10.44547198072180000 | 67.75024213 | |||||
| 250 | 4.344670903 | 0.23016703 | 10.05337290303490000 | 67.75024213 | |||||
| 255 | 4.431564321 | 0.225653951 | 9.68254206142278000 | 67.75024213 | |||||
| 260 | 4.518457739 | 0.221314452 | 9.33149870164262000 | 67.75024213 | |||||
| 265 | 4.605351157 | 0.217138708 | 8.99888592941115000 | 67.75024213 | |||||
| 270 | 4.692244575 | 0.213117621 | 8.68345879509675000 | 67.75024213 | |||||
| 275 | 4.779137993 | 0.209242755 | 8.38407365388596000 | 67.75024213 | |||||
| 280 | 4.866031411 | 0.205506277 | 8.09967865382255000 | 67.75024213 | |||||
| 285 | 4.952924829 | 0.201900904 | 7.82930522202555000 | 67.75024213 | |||||
| 290 | 5.039818247 | 0.198419854 | 7.57206043511753000 | 67.75024213 | |||||
| 295 | 5.126711665 | 0.195056805 | 7.32712017368244000 | 67.75024213 | |||||
| 300 | 5.213605083 | 0.191805859 | 7.09372297264872000 | 67.75024213 |
| 半径r/cep | ロール | ||
| 0.1 | 0.69075 | ||
| 0.2 | 2.73451 | ||
| 0.3 | 6.04773 | ||
| 0.4 | 10.49749 | ||
| 0.5 | 15.91036 | ||
| 0.6 | 22.08354 | ||
| 0.7 | 28.79749 | ||
| 0.8 | 35.82871 | ||
| 0.9 | 42.96181 | ||
| 1 | 50.00000 | ||
| 1.1 | 56.77314 | ||
| 1.2 | 63.14327 | ||
| 1.3 | 69.00731 | ||
| 1.4 | 74.29715 | ||
| 1.5 | 78.97759 | ||
| 1.6 | 83.04245 | ||
| 1.7 | 86.50965 | ||
| 1.8 | 89.41568 | ||
| 1.9 | 91.81004 | ||
| 2 | 93.75000 | ||
| 2.1 | 95.29610 | ||
| 2.2 | 96.50848 | ||
| 2.3 | 97.44406 | ||
| 2.4 | 98.15470 | ||
| 2.5 | 98.68610 | ||
| 2.6 | 99.07735 | ||
| 2.7 | 99.36101 | ||
| 2.8 | 99.56356 | ||
| 2.9 | 99.70601 | ||
| 3 | 99.80469 |
お待たせしました。申し訳ない。http://western.blog.shinobi.jp/Entry/141/の続きです。
待っていなかった、かも(汗)
まずなぜ、このような作図形式を考えているのかという動機は、こんな議論を学生時分、交わしたからです。
「システム・デザイナーとGMの間のシナリオ・デザイナーには立つ瀬がない。展開の流れをコントロールするにも一つ一つの確率を挙げて行けばきりがない。ネタを提供するだけで、よくできたシナリオなんて、セッション上では生み出しようもない。ストーリーとしてまともに命題を揚げ、テーマを追求しても、机上より卓上の方が優先させられてしまう」
という嘆きを聞きおよび、その答えを探っていたからです。
シナリオ・フォーマットとしてというより、シナリオ・デザイナーの企図を、GMには視覚的に訴え、セッション運営に生かしてもらいたいという実験的な試みです。PLには見せません。
ストーリーとして命題を揚げ、テーマを追求する取り組みに関して、このような幾何学的なブロックに分解して明示すれば、一本道になりやすいストーリー重視のシナリオでも、経過基序を異にしやすい。かっちりとデータを駆使して、Aマホのような展開指向性を、別のアプローチで求めるような考えです。
この手法では、フラグが立つと他の点を目指せます。ブロック内の点の微妙な座標は、確率的に想定外の展開の起こる可能性も含めています。
円A1A2またはB1B2は、1と2どちらかが「自在円」で、もう一方の中心を同じくする円が「CEP(半数必中界)円」です。「自在円」「CEP円」は比較してどちらが大きくても構わない。
「自在円」は各色のブロックの点に接っするか内包し、鬼側の戦略である五芒星や六芒星に重なってはいけません。大きいときには偶然性が多く、小さくするには戦略的なフラグをきちんと立てることが必要です。
「CEP円」はダーツのたとえでいうと50%刺さる円です。散布梯尺でいうとCEP(25%+25%)、この外が(16%+16%)、(7%+7%)、(2%+2%)の比率に近似します。
パーセンテージ・ロールで狙いのズレ幅、D6*10+D10でズレ角を導きます。導くのは点であって、面ではありません。「自在円」と同じく大きいときには偶然性が多く、小さくするには物語的なフラグをきちんと立てることが必要です。
求めた点から展開内容が決まります。点を求めない、つまりフラグが立たず無用な展開が続けば、鬼側は五芒星や六芒星の妨害を仕掛けられます。
下図の「に」では鬼の妨害工作に引っかかっていて、申はたとえば、「人質をとられているので、桃太郎を裏切るか、合戦のときに鬼の言うことを聞いて武器を捨てさせる」などというフラグを立てています。
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「シナリオ作成の道具箱」「ダンジョンシナリオ作成講座」にあるような、「葛藤・結果に対する責任・アカウンタビリティ」がゲーム性だとしたら。
誤解を自覚した上で、妄想します。
もしそこに自然科学的だったり、ベイズ統計かゲーム理論のような正解、均衡解のようなものが、素晴らしい統計の達人が出すように、見つけられれば、単に「合理的」に選択されて行くだけなのかもしれない。
ゲームは、数学的に解を出すのと同じ作業でしょうか。
チェスの必勝法が解明されたとして、チェスは遊ばれなくなりましたか。
もっと進んだ人工知能を相手にすれば、人間もいらない素晴らしいTRPGができるかもしれない。
「葛藤・結果に対する責任・アカウンタビリティ」は明快であっても、これは僕が考えているゲーム性と違います。
僕はやっぱりそれだけではないという解釈をします。
何を持って
「合理的」
「問題解決」
「コミュニケーション」
「物語」
「役割演技」
かといった論点で、遊ぶ価値があるかないか。
そこから目を逸らしている詭弁だと思う。
もし、これを覆すならば、遊ぶに値しないセッションに、上記のゲーム性が詰め込み、簡単に反証できるでしょう。
捨て猫を助ける/助けない。どちらにしろゲームオーバーとか。そういう例を上げた方がいますが、これはゲーム性はそういうものではないという反証ですね。
まず、TRPGを含めてゲーム一般は、哲学の領域に属しています。
学問的常識として、「遊び」論としては、ホイジンガ、カイヨワの先行研究があります。
ゲーミングシミュレーションの領域では、TRPGはきちんと扱われていまして、以下の本で、社会科学の先端として学問的に言及されています。
これは、好きとか、好きではないとか、言った者勝ちとか、文章が読みにくいとか、そんなことは問題にしません。このブログが論考で、この論考かどうか、ラノベより読みづらいとか、そういう問題ではありません。
学問的に考察の対象になっているのは、れっきとした事実で、匿名ネットで吹聴する、匿名で攻撃する、しろうとの理屈の趣味嗜好ばかりではありません。
しろうとが、経歴をうそぶいたり、取引相手をうそぶいたりする、あやふやなものではありません。
これは、僕にかぎらず、この学究分野全体にも向けられる偏見で、非常に残念に思います。オンライン上の付き合いしかないから、と、魔女狩り裁判の審問にかけるような懐疑主義の非礼無礼には閉口します。
このなかで、TRPGはすでに1998年に語られています。ゲーミング・シミュレーションは、学問的な研究分野として成立しています。
それから、この社会科学の学問世界では、馬場さんといえば、どうでもいいニフティの権力争いをした馬場秀和さんではなく、馬場先生というと、馬場則夫先生なのでしょう。
さて、この本の中で、新井潔先生が述べている「ゲーミングシミュレーションとは何か」において、
「プラグマティズムの伝統」
「科学の伝統(オペレーソンズ・リサーチの伝統)」
「エンターテインメントの伝統(学習)」
の流れが、あります。(エルグッド1993)
コミュニケーション論では、ハーバーマス(1981)が扱っており、ハーバーマスについては、GameDesign 西部劇TRPG開発日誌 [コミュニケーション]社会学のアプローチ1で、僕も、注目していました。
まず、この概論を読んで、僕がTRPGにおいて、主題として論じていることが明確化された気がしました。
新井先生は以下の図でゲーミング・シミュレーションをあらわしていますが、
僕は、TRPGのマスターとプレイヤーの関係において、下図の方向への生起を問題にしています。
「?」をつけた部分で、ハーバーマスが問題にしているところです。
プレイヤー(アクター)に、ゲームマスターというシナリオをつくるプレーヤー(アクター)がいる場合、問題になります。
TRPGが、シングルフォーカスな単一のマンネリに固定されてしまった場合には、貧相な形になってしまい発生しにくくなってしまう部分があります。
ここが僕が重視する「主体」と「場」の仮想的ではない、現実的なメッセージ性やテーマ性です。
役割演技、ロールプレイについても、大きな示唆を与える、「主体」の仮想性と現実性、「場」の仮想性と現実性について、井門正美先生が述べています。
井門先生は、役割演技を役割体験としました。役割分担ではありません。おそらく、この役割体験は、TRPGの特殊な役割演技性から、新たに明確化するためにこしらえたキーワードだと思います。
僕は、完全に主体も場も仮想になることはないという、アプローチです。ゲームを行うことに、完全に万人に安全な環境はないと思います。そこで、TRPGには、相互理解や相互信頼が必要だという論法です。
さらに踏み込んで、井門先生の論から、新井先生は、ルールの「厳密さとゆるやかさ」「仮想的か現実的か」という軸でゲーミングを分類しています。
重要なことは、どんなゲーミングもプレイヤー(アクター)がリアリティーを決定する、という点ですね。
JASAG Web site - ISAGA(日本シミュレーション&ゲーミング学会)
が、どのようなことをテーマにしているのか、想像がつきました。
新井潔 [ほか] 著
ゲーミングシミュレーションが研究・教育・意思決定のさまざまな領域においてどのような役割を果たしているか、設計から実施、またゲーミング実施後の検討まで具体例を交えて詳説。社会的問題解決のためのコミュニケーション技法。
「BOOKデータベース」より
[目次]
「BOOKデータベース」より
1. ここはどうやら、洞窟のようだ。10メートルほど上に、光の差す穴が開いている。君は一切の過去の記憶がない。あの穴から落ちてきたらしいが、思い出せない。
身体の彼方此方が痛むが、大したことはなさそうだ。どうする? 真っ暗闇だよ。
>持っているもの、紅くピカリと輝く指輪、ぼうっと青白く輝く剣。
>風の吹いてくる穴、真っ暗な穴がある。
>聞き耳を立てると、風の吹いてくる穴の方からは微かにトントコトントコという音が聞こえてくる。
2. 真っ暗な穴
何も見えない。急に不安が襲ってくる。
3. 風の吹いてくる穴
小鬼、ゴブリンが、10匹ほど「ゴブ、ゴブ、ゴブ」踊っている。太鼓のリズムに合わせて。その向こうに出口が見える。向こうは気がついていないようだ。どうする?
>主人公の記憶が戻るパターン。
>主人公の記憶が戻らないパターン。
PL=男性ならば、例えば、自分は王子様で、身体が剣技を縦横に振るい、ゴブリンの命乞い。
PL=女性ならば、例えば、後ろから暗闇の中、下級騎士が現れて、「今は戦争中だ。この場は協力するが捕虜になってもらう」として、実は下級騎士側の軍の姫君。
システムはサイコロ一個で。単純にでっち上げる。
TRPGの喩えとしてキャッチボールを出します。
相手のグローブの近くに投げる、又は胸元に投げる、フライを投げるにしても落下地点は相手のいる位置からそんなに遠くないところに投げる。
要するに「受けやすい球を放る」
身長を飛び越える球やゴロや変化球は投げない。相手の力量で、コントロールが悪ければ距離をつめる
要するに「(自分の)投げやすさを優先しない」
なぜならば、フォロー(リカバリー)が大変だからです。
上級者でも、後ろが川だったりすると、大変。
気に食わない奴や体力をつける必要がある奴には悪球を投げる、これは、キャッチボールでも、変なふざけた危ない球(暴投)を投げられたらやります。
実はこうして(やられたらやりかえすことで)、チームワークの建設をできる。
以上、キャッチボールとTRPGの類似点。
分らない奴はキャッチボールを楽しめない。キャッチボールはあくまでボールによるコミュニケーションで、メタ視点がどうの、ない。
キャッチボールをする人同士のボールによるコミュニケーションの応答。
哲学畑をやっていても、メタ視点が、キャッチボールに関わるのか。否、根拠がない。
PLらとGMの「遊び形式の」コミュニケーションでしかない。「遊びの形式の」没入による錯誤だと思う。
※この記事はアムウェイ(MLM)のカワムラとスナダ(両名とも予備自衛官)が2ちゃんねるあたりで取り上げた場合、非公開にします。
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趣味・娯楽のゲームなので、その楽しさは、なにか好みの問題と片付ける方もいますが、まず、
これは合意できますね。
そうではないと遊びが成立しません。
嫌いな奴や嫌な奴は、自分を信用しなかったり、言うことをねじ曲げたり、会おう・話そうという申し出を蹴ったりする人です。
そういう人は、「他人の真心の中で甘えて楽しまさせてもらっている」という自覚がないのです。
よく、好みを押し付けるな! という人がいますが、その輪から出ればいいだけです。
そういう人が一番好みの押しつけをする人です。好みが合う人と遊べば済む話です。
遊びにまで嫌な人間関係を持ちたいとは思わないでしょう。嫌な人と遊ぶ上で、改善をしようと話し合ったり、一緒に飯を食ったり、交歓して、それでもダメならば遊ばなければいいのです。
僕には、「自分の真剣な真心で他人を楽しませたい」という目的があります。
多くの人の支えでも、悪戦苦闘していますが。
僕はTRPGを楽しむ人に愛されたいのではなく、彼ら彼女らを愛しているのです。今まで過ごした楽しい時間を愛しているのです。
あなたにとってTRPGってどんなゲームですか?
好みの問題ではなく、姿勢や態度の問題が前提でしょう。TRPGがどんなゲームになるかはGMやPL次第としか言いようがありません。
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ロール・プレイは、他の人々の立場やパーソナリティという点から「憶測し直すこと(Second-guessing)」が特徴で、他のゲーミング・シミュレーションとの大きな違いだとされます。
TRPGはこの要素を引き継いでいます。
一方、「感情移入」という用語は、「同一視」のカテゴリーに入れる精神分析学の学者もいます。
いわゆる、TRPGの「なりきり」プレイは、プレイヤーが、リアリティーを生み出そうとする試みだと思います。
「なりきり」プレイが失敗するとリアリティーを得られないことになります。この失敗は、行き過ぎた「感情移入(同一視)」そのもので、Second-guessingを意識しない、ないし、そこから逸脱してしまう点にあります。
衆目を集めた中でのロール・プレイが「金魚鉢」状態になることがあります。「感情移入(同一視)」が、日常世界にも、TRPGというゲーミングの領域にも、当てはまらない情念の世界を生み出して「金魚鉢」を形成してしまいます。
ですから、リアリティーを求めていくには、舞台演劇論とは違う、Second-guessingを前提にした演技が必要だと思います。
TRPGのリアリティーをどこまで求めるかという合意プロセスが、ルール化されて来なかったことは、結局「なりきり」プレイを善悪二元論で捉えていく感性的な次元のアポリアに陥らせました。
プレイヤーがTRPGのリアリティーを求めようとする試みであったと解釈すべきでしょう。
プレイの一手段としては、提案として面白さを求める姿勢で、「遊びに対する真面目さ(遊びにとっての善)」が動機だと受け取れば、失敗しなければ何ら問題なく、かえってTRPGには歓迎すべきものだと思います。
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遭遇したケースで、当方とは性が合わないのが「法律学者のTRPG」とでも言うべきもの。
「ルール」にあるから、ないから、といって、ロールプレイ(役割演技、またキャスト的な演技も含む)がおかしくなるもの。
TORGで一向に戦闘を終わらせず、シナリオが終わるまでとっておくと成長に有利なドラマカードが全部出尽くすまで長引かせる。
DEADLANDSで射撃時、考えうる最悪の事態のファンブルによってGMがPCに失明のペナルティを与えた。にもかかわらず失明は「ルール」にないからと、普段どおりの能力を発揮する。
このような考えはTRPGの「ルール」をガイドラインとして捉えておらず、法律体系のようなものとして、審判というより判決を導くようなものとして捉えているのだと思う。
「ルール」を法律扱いして、それに従うことでアドバンテージを得ようとする。または「ルール」にないとして、失明などを処理しない。
何が欠落しているのかというと、人によっては常識、想像力、コミュニケーション能力などを挙げるかもしれない。
PSPでモンハン通信プレイでもしたら、ルールどおりで、ロールプレイもいらず、GMも不要です。「法律学者のTRPG」をやるにはもってこいだと思います。
わざわざ人と人でやるようなTRPGには、TRPGなりの要素を持っているはずでしょう。
ルールどおりではなく、ロールプレイが不可欠で、GMを必要とします。
これがTRPGとして肝心なところで、この形態の遊びの可能性はまだまだ切り開く余地があると思います。
取り寄せました洋書です。
これによって、FG、FFFGではなく本来のブラックパウダーのデータが把握できました。
ブラックパウダーで威力を増す必要があるために、
コルト・ウォーカー・モデル、バントラインスペシャルなど馬鹿でかいバレルが、
必要だったり、爆燃のエネルギーが高いために、
現代のマグナム弾を撃てるほどしっかりした構造が不可欠なのが分ります。
この本を元に、
過去記事:西部劇TRPG開発日誌 [SYS] Infinity Suite(弾道計算ソフト)届きました。
http://western.blog.shinobi.jp/Entry/116/
を用いれば、「映画のフィクション」「検証可能なノン・フィクション」が、
分ります。
西部劇TRPGの制作上の問題点は、ミリヲタ半可通トラブルと同じく、
フィクションとノン・フィクションの明確化をして、
デザイン上、プレイ上、すりあわすことができるように
道案内をすることが第一だと認識しています。
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ついヒートアップして、筆が走ってしまった。
とっておこう。燃料は、あげません。
ホイジンガ
ホモ・ルーデンス
まえがき――序説
第一章 文化現象としての遊戯の本質と意味
これまでの遊戯の定義は不十分である
文化因子としての遊戯
自立的な範疇としての遊戯
遊戯の形式的特徴
遊戯の規則
遊戯という特殊世界
闘争としての遊戯と表現としての遊戯
遊戯と祭祀
遊戯における神聖な真面目さというもの
祝祭の本質
信仰と遊戯
遊戯と密儀
第二章 遊戯概念の発想とその言語による表現
言語史および種々の言語のなかで<遊戯>概念がうけている異なった評価
ギリシア語における<遊戯>の表現
サンスクリット語における<遊戯>の表現
シナ語における<遊戯>の表現
アメリカ・インディアン語における<遊戯>の表現
日本語における<遊戯>の表現
セム語族における<遊戯>の表現
ロマン諸言語における<遊戯>の表現
ゲルマン諸言語における<遊戯>の表現
遊戯と闘争
音楽的意味における遊戯
エロス的な意味における遊戯
真面目という言葉、真面目という概念
第三章 文化を創造する機能としての遊戯と競技
遊戯としての文化――<遊戯変じて文化となる>ではないこと
遊戯の対立的性格
競技は遊戯である
勝つということ
賞・賭金・利得
古代社会の対立的構造
古代シナの季節の祭
他の国々における闘技的遊戯
賭けの祭儀的意味
ポトラッチ(Potlatch)
ポトラッチの社会学的基礎
クラ(Kula)
遊戯における名誉と徳
悪口合戦
文化因子としての闘技的原理
第四章 遊戯と法律
競技としての訴訟
神明裁判・籤占い
権利をめぐる競技
裁判と賭け
遊戯形式による裁判原理
第五章 遊戯と戦争
秩序を守った闘争は遊戯である
古代の戦争の競技性
決闘裁判
古代の戦争の祭儀性と闘技性
敵に対する礼節
儀式と戦術
闘技的原理の適用の限界
英雄の理想像
戦争の文化価値の過大な評価
第六章 遊戯と知識
競技と知識
哲学的思考の発生
謎解き競技は祭祀の一部である
古代ノルド文学の質問競技
社交遊戯としての謎問答
問答論
神学的・哲学的論議
謎解き遊戯と哲学
第七章 遊戯と詩
予言詩人
詩は遊戯の中に生まれた
愛の法廷
教訓詩
神話の詩的内容
文化の遊戯相としての神話
詩的形式は常に遊戯形式である
詩は競技の中に養われる
詩人の言葉は遊戯の言葉である
第八章 詩的形成の機能
形象化するということ
擬人化された抽象観念
一般的習慣としての擬人化
詩の諸要素は遊戯機能である
遊戯としての戯曲
第九章 哲学の種々の遊戯形式
ソフィスト
哲学的対話の起源
ソフィストと弁辞学派
論争
カール大帝の翰林院
十二世紀の学校の世界
学問の闘技的性格
第十章 芸術の種々の遊戯形式
音楽と遊戯
プラトーン、アリストテレースにおける音楽
音楽の評価
舞踊は純粋遊戯である
ミューズ的芸術、造形芸術と遊戯
芸術作品の祭儀性
造形芸術における競技の因子
第十一章 <遊戯ノ相ノモトニ>見た文化と時代の変遷
古代以後の諸文化における遊戯因子
ローマ文化における遊戯要素
公共精神とポトラッチ精神
中世文化の遊戯要素
ルネサンス文化の遊戯要素
バロックの遊戯内容
ロココの遊戯要素
ロマン主義の遊戯性
十九世紀における真面目の支配
第十二章 現代文化における遊戯要素
スポーツ
スポーツは遊戯領域から去ってゆく
スポーツとしての非体育的遊戯
現代職業生活における遊戯的なもの
現代芸術における遊戯的なもの
現代科学の遊戯内容
小児病
政治の遊戯内容
国際政治における遊戯的なもの
現代戦における競技因子
遊戯要素は不可欠であるということ
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あくまでも、僕のやり方を書きました。他にも色々なやり方があって、それを否定するのではなくて参考になるかもしれないと思って書きます。
まず、このやり方に命名します。「解釈式シナリオ作成法」です。
この方法でまず理解する必要があるスキーマは『すべての現象は「関係」「変化」「解釈」でしかない」というものです。物事は全て、どんな人でもこの枠組(スキーマ)で物事を捉えるのだと仮定します。
セッションで一体誰が参加するのか、今までどんな「関係」があって、自分がGMをするということになった「変化」を自分なりに「解釈」します。
そして、TRPGのシナリオに取り組みます。まず、NPC、状況、事物、事実などを通常状態で想定します。関係図を書きます。
ここに「変化」をさせます。よくもまあそんなネタになるものだなあというのは、関係が明らかにしてあると、結構簡単にやれます。ただし、メンツを念頭において、その人を暗に傷つけたりしないかはよく考えます。
次に「解釈」なのですが、NPCなり、ゲーム上の世論なりの「解釈」をもりこみます。PLが持ちうる「解釈」も余地があるように仕込みます。
これをやっておくだけで、何々についてのテーマが自動的に盛り込まれます。なぜかというと、テーマは「解釈」の相違点なわけですから。
ここから先にアドリブで補強しながら、「解釈」の結果であるセッションへの対応を書き出します。
PCが「解釈」するのではなく、あくまでもPCを用いたPLの「解釈」を大事にします。
あとは普通にルールブックに載っているような書式に沿ったり。運用できればいいだけです。
これはほとんどの人が、たぶん無意識にやっていて、意識的にやると、単なるハック&スラッシュでも、ちょこっと効くスパイスになります。
水無月さんのツイッターまとめに触発されました。この場を借りて感謝を。
http://togetter.com/li/163413
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2chの
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/cgame/1325477597/
非常識な無断リンクがありましたので、パスワードを入力しなければ見れない状態にします。
この板には、アムウェイに狂っている士長までしか勤めていない予備自衛官二名(砂田と川村)、アスペルガー障害のコ(濱口、mixiではりばーす)、ここまでは実名と住所を把握しています。
さらに、ラノベしか読めない国語能力のないコ(水無月冬弥)が、たむろっています。
非常識な無断リンクはお断りしています。という日本語が読めないようですので、あしからず。
まず、TRPGを含めてゲーム一般は、哲学の領域に属しています。
学問的常識として、「遊び」論としては、ホイジンガ、カイヨワの先行研究があります。
ゲーム理論や確率論という数学もまた、哲学の領域です。
ゲーミングシミュレーションの領域では、TRPGはきちんと扱われていまして、以下の本では、社会科学の先端(フロンティア)として学問的に言及されています。
これは、好きとか、好きではないとか、言った者勝ちとか、文章が読みにくいとか、そんなことは問題にしません。このブログが論考でこれが論考かどうか、ラノベより読みづらいとか、そういう問題ではありません。
学問的に考察の対象になっているのは、れっきとした事実です。
匿名ネットで吹聴する、匿名で攻撃する、しろうとの理屈の趣味嗜好ばかりではありません。
しろうとが、経歴をうそぶいたり、取引相手をうそぶいたりする、あやふやなものばかりではありません。
これは、僕にかぎらず、この学究分野全体にも向けられる偏見で、非常に残念に思います。
ここで紹介する本に書かれていることですが、
自然科学としては。
統制された実験ができない
客観的なデータが集められない
実験の再現がむずかしい
教育現場としては。
何を学んでいるのかわからない
授業の統制ができない
成績の評価ができない
まるで遊んでいるようだ
これらの問題が、書かれています。TRPGも論じるには、同じ障害があります。
オンライン上の付き合いしかないから、と、魔女狩り裁判の審問にかけるような懐疑主義の非礼無礼には閉口します。
このなかで、TRPGはすでに1998年に語られています。ゲーミング・シミュレーションは、学問的な研究分野として成立しています。
それから、この社会科学の学問世界では、馬場先生といえば、どうでもいいニフティの権力争いをした馬場秀和さんではなく、馬場則夫先生なのでしょう。
さて、この本の中で、新井潔先生(GameDesign 西部劇TRPG開発日誌 [おすすめ]ゲームの作り方がわからない人へ。の翻訳者)が述べている
「ゲーミングシミュレーションとは何か」において、
「プラグマティズムの伝統」
「科学の伝統(オペレーションズ・リサーチの伝統)」
「エンターテインメントの伝統(学習)」
の流れが、あります。(エルグッド1993)
コミュニケーション論では、ハーバーマス(1981)が扱っており、ハーバーマスについては、GameDesign 西部劇TRPG開発日誌 [コミュニケーション]社会学のアプローチ1で、僕も、注目していました。
まず、この概論を読んで、僕がTRPGにおいて、主題として論じていることが明確化された気がしました。
新井先生は以下の図でゲーミング・シミュレーションをあらわしています。
この図の白抜き矢印(この図では赤塗り太矢印)は、ゲーミングの設計から実施に至る流れを表しており、実線の矢印はモデルによる世界の解釈を意味している。一方、点線の矢印は、プレイヤーが内部モデルによって世界解釈をしていること、そして、ゲーミングの実施によりその内部モデルが組み替えられていること、さらにシステムモデルも討論による批判的検討にさらされることを表している。このようにゲーミング・シミュレーションの実線はひとつのサイクルを形作っている。(「5.ゲーミングシミュレーションの基礎理論に向けて」新井潔)
僕は、TRPGのマスターとプレイヤーの関係において、下図の赤色で示した実線と点線方向への生起を問題にしています。
「?」をつけた部分で、ハーバーマスが問題にしているところです。
プレイヤー(アクター)に、ゲームマスターというシナリオをつくるプレーヤー(アクター)がいる場合、問題になります。
TRPGが、シングルフォーカスな単一のマンネリに固定(シナリオの固定)されてしまった場合には、貧相な形になってしまい発生しにくくなってしまう部分があります。
ここが僕が重視する「主体」と「場」の仮想的ではない、現実的なメッセージ性やテーマ性です。
役割演技、ロールプレイについても、大きな示唆を与える、「主体」の仮想性と現実性、「場」の仮想性と現実性について、井門正美先生が述べています。
井門先生は、役割演技を役割体験としました。役割分担ではありません。おそらく、この役割体験は、TRPGの特殊な役割演技性から、新たに明確化するためにこしらえたキーワードだと思います。
僕は、完全に主体も場も仮想になることはないという、アプローチです。ゲームを行うことに、完全に万人に安全な環境はないと思います。そこで、TRPGには、相互理解や相互信頼が必要だという論法です。
さんざん、僕が作ったゲーム(カードゲームやTRPGやマルチ)を荒らす、僕を軽蔑する人に出会いました。遊びに不真面目な人です。
このイロニーができるのは、仮想性は完全には成立しない証拠です。
仮想性が完全には成立しないことを前提にしなければなりません。そもそもからして、そこにプレイヤー(アクター)の現実性があります。
どんなゲーミング・シミュレーションにおいても、この応答部分は非常に重要です。とくに、テストプレイのデバッグで痛感します。
さらに踏み込んで、井門先生の論から、新井先生は、ルールの「厳密さとゆるやかさ」「仮想的か現実的か」という軸でゲーミングを分類しています。
重要なことは、どんなゲーミングもプレイヤー(アクター)がリアリティーを決定する、という点ですね。
これを認めるならば、プレイヤー(アクター)の中に、ゲームマスター(アクターであり設計者)というシナリオに基づく司会者としての役割、ルールを改変してもいいという伝統的ポジションがTRPGには、T&Tの時代からあります。
ゆえに、「?」の部分にゲームマスターが関わることは明白ですから、止まってしまったというハーバーマスのアプローチ、コミュニケーション論からの分析が必要でしょう。
そして、失敗を恐れないで行える安全性が、TRPGにおいては、役割演技の前提に置かれることも重要です。
「主体」「場」の完全ではない仮想性(現実性の部分)が、メッセージ性やテーマ性の応答の余地になると思います。その余地(西村清和先生が言うには遊隙)が、TRPGの特徴、重要な楽しみのエッセンスと言えると思います。
また、逆にその余地があるために、イロニーという遊びへのボイコットが許され、試行が失敗する要素になっていると思います。
現実的なメッセージ性やテーマ性を持ち出せるから、イロニーを許していまうのです。
これは、おそらく同じ遊隙で成立していますね。
イロニーは、一種のサボタージュで、冷ややかであるにしろ、あたたかであるにしろ、喜びの場合があります。プレイヤー(アクター)ではなく、設計者へのエゴイスティックな優越感を示すものでもあります。
この現実性は、社会的だったり、ごく身近な対人的なものです。(オンラインのゲームのチーターないしフリーライダーがもっている意識は、ゲームのコミュニケーション性への寄生だと思います。)
根底は、メッセージ性やテーマ性を送り出す次元でつながっています。つまり、メッセージ性やテーマ性を拒否するためのイロニー以外のボイコットを認める仕組みが、TRPGには、必要かもしれません。
JASAG Web site - ISAGA(日本シミュレーション&ゲーミング学会)
が、どのようなことをテーマにしているのか、想像がつきました。
PS.
それから、シングルフォーカスなワンパターンのTRPGや、ストーリを構造主義分解して再構築するとかいったもの、もちろん僕が製作中のものも含めて、それぞれのTRPGに道徳的に善悪があるわけではありません。
(道徳的に問題になるのは、例えば、カードゲームでどれだけ彼氏彼女を作ったかを競い、赤ちゃんができると堕胎費用10万円が請求される、払えなければゲームオーバーといったもので、バブルの頃に実際社会問題になり、処分を受けたもののたぐいです。)
何々だと、これを捨てることになるとか、そういう指摘です。ゲームのモデルをいろいろな形に取ることで、優劣は「楽しい」か、どうかが問題なだけです。
僕は、遊んでもらえないゲームはたくさん捨ててきました。
小学生から自分で働いて(違法)買ったPB100で、マイコンBASICマガジンに毎月のように投稿してきましたし、前述のとおり、TRPG、マルチプレイ、カードゲーム、(働いて買ったPB500や紙の)GB、パズル、ADVも捨ててきましたが、製作過程でいろいろな方とお会いする機会に恵まれました。
念のため言及しておきます。
新井潔 [ほか] 著
ゲーミングシミュレーションが研究・教育・意思決定のさまざまな領域においてどのような役割を果たしているか、設計から実施、またゲーミング実施後の検討まで具体例を交えて詳説。社会的問題解決のためのコミュニケーション技法。
「BOOKデータベース」より
[目次]
「BOOKデータベース」より
ゲームとしての社会戦略 : 計量社会科学で何が理解できるか松原望著 筆者が長年文系・理系共通に大学1、2年生に講義してきた社会分析の基本知識を、ビジネスマン、社会人向けに大幅に書き直し拡充した知的訓練書。「決め方の戦略:議論の進め方で先手」「チキン・レース:最悪事態を避ける」「約束の信憑性:公約は守るのがいいか守らなくていいのか」「ポートフォリオ:デリバティブことはじめ」「データ数字:使わないおろかさと信じきるおろかさ」「ねずみ算算法:実際はいつまでも続かない」「カオスと複雑系:見物渋滞の社会的損失」「方策決定:使えるリソースは有限」「リスクと金融工学:ついに『パンドラの箱』を開けたのか」「市場の倫理:コンプライアンスとCSR」…など、関心の高い社会のさまざまな事象を、ゲーム理論、意思決定理論、統計分析法、基礎微積分などの基本にも触れながら興味深く論ずる。社会のしくみを知的に楽しめ、かつ、ビジネスにおいても役立つ知識を盛り込んだ、「計量社会科学」リテラシー。終章「あなたの戦略力を試す16問」はユニーク。 「BOOKデータベース」より [目次]
「BOOKデータベース」より |
リンカン [著] ; マリオ・M. クオモ, ハロルド・ホルザー編著 ; 高橋早苗訳
本書は、リンカンの著作(演説、書簡、草稿、メモなど)の中でとりわけ民主主義の思想を反映するものを集めた最初の選書である。
「BOOKデータベース」より
[目次]
「BOOKデータベース」より
ハワード・ジン著
開拓と建国、神話のベールをはぐ。英雄と偉人の称賛の陰に忘れ去られた無名の人びと-豊富な資料を駆使してインディアン、黒人奴隷、プア・ホワイト、女性たちの肉声を再生。
「BOOKデータベース」より
アメリカ・イメージの修正を迫る。第2次世界大戦と朝鮮、ベトナムでの戦争、反乱と変革の60年代を経て体制再建の70年代に至るアメリカ現代史の流れを根底からとらえなおす。
「BOOKデータベース」より
[目次]
「BOOKデータベース」より
[目次]
「BOOKデータベース」より
[目次]
ピーター・マシーセン著 ; 早川麻百合訳
北米大陸にヨーロッパ系白人が定住しはじめてのち、夥しい数の種が絶滅の危機にさらされてきた。自責の念をもって、この間の経緯を入念に調べあげた貴重なドキュメント。350年の短期間に絶滅した野生動物のドラマ。
「BOOKデータベース」より
[目次]
フッサールの「間主観」とハイデガーの「配慮・気づかい」をTRPGに適用すると、当方の理解では上の図になる。
間主観について(現象学の基本理念1)[フッサール現象学]によれば、
>「相対主義」と「絶対主義」が頭の中にあるとすると、「様々な見方を認める」なら、「絶対主義」を認めることになる一方、他方で「相対主義」が「絶対主義」を認めるのはおかしい。
となる。
>現象学では、超越視点(客観視点)をもたない。私の視点が全てであり、全ては主観内で閉じ、その外部に出ることは背理である。
>(簡単に言えば)外部をエポケー(保留)した主観を、「超越論的主観」という。
さらに、ハイデガーは各存在の配慮・気づかいを重視しており、その函数に収まらない形での「意義」を主張する。TRPGを行う「意味」はなくとも、「意義」が成立すればいいのだと思う。
ゲームシステムはGMとPC:A,B,C,Dに関わり、GMとPL:A,B,C,Dの間主観を超越論的「主観」でみたA,B,C,Dそれぞれの判断で所与される。このとき、各判断に意義がなければ、どんなTRPGであっても意義のないものとなるのだと思う。
TRPGのゲーム性というものがもしこの世に本当にあるならば、面子から生み出される意義(観客的位置も含む)が重要で、その面子から意義が生まれるようにフォローされているTRPGが良いTRPGだと言えるかもしれない。
西部劇を読む事典芦原伸著 ジョン・ウェイン、ゲイリー・クーパー、アラン・ラッド…、スクリーンのヒーローは、いつだって少年たちの憧れだった。誇り高き西部の男たちはどこから来て、どこへ去っていったのか。戦後の日本人を魅了した西部劇を素材に、アメリカ開拓時代の息吹きを読み解く。とっておきの西部劇100選や懐かしのA級・B級スター、西部劇用語集も収載。 「BOOKデータベース」より [目次]
「BOOKデータベース」より |
カウボーイ事典デヴィッド・H・マードック著 西部劇のヒーロー、カウボーイ。しかし、実は彼らは、銀幕のイメージとはかけはなれた存在だった…?!アメリカでカウボーイが活躍した19世紀後半を中心に、「人と牛」、そして「人と馬」の歴史をビジュアルでたどる異色の歴史ガイド。貴重な馬具、銃も多数掲載。 「BOOKデータベース」より [目次]
「BOOKデータベース」より |
| 【宿 題】 第二次世界大戦に関してこんな話がある。それは「コベントリー・ジレンマ(Coventry Dilemma)」と呼ばれる(じつは架空の話だが戦略学や軍事史での模範問題となっている)エピソードだ。かいつまんで言うと、大戦中のイギリス首相ウィンストン・チャーチルはドイツ軍の暗号を解読した情報部から、イギリスの都市コベントリー(戦略上の価値は低いが、数万人の市民が住む町)がドイツ空軍に爆撃される予定にあると知らされた。ここからあるジレンマが生まれる。 チャーチルには二つの選択肢があった。 A)ドイツ軍の爆撃機を阻止して、コベントリーを守る。 B)ドイツ軍の爆撃機を阻止せず、彼らがコベントリーを攻撃するのを許す。 それぞれの選択のメリット、デメリットはこうだ。A)を採用すればコベントリーは防衛できようが、ドイツ軍は自分の暗号が解読されたと察知して暗号を変えるかもしれない。そうなればチャーチルは敵を打ち破る上で必要な情報を得られなくなり、結果として戦いは長引き数十数百万のイギリス国民が死傷する。しかしB)を選択すればコベントリーは爆撃されて数万人の市民が死傷する。最終的にドイツを打倒しても、コベントリーを見捨てたという事実はぬぐえない。 いずれの選択を取ろうが、チャーチルが後世にこう非難されるのは免れない。「裏切り者め、国民を敵に売りわたした悪党め」と。ちなみに他の選択肢は(国内外の事情から)不可とする。 さあ、今からあなたはチャーチルだ。ドイツの爆撃機は刻一刻と迫ってくる。大勢の部下があなたの命令を今か今かと待っている。決断をするのはあなたの、あなただけの義務であり裁量だ。イギリス市民の安全はあなたの指示一つに懸かっている。さあ、平和と未来のためにどちらの選択肢を選ぼうか。 お断りしておくが、以上の話は誰のために誰に死んでもらおうかという日常的な政治ゲームの一幕をデフォルメしたに過ぎない。皆さんの食ってるエビとかカニとか、オレンジとかバナナとか、どこの国のどんな人達の犠牲の上で日本に運ばれ、私達の口の前に運ばれてくるのか、この機会にお考えになってみるというのはいかがでしょうか? |
|---|
| 馬場信奉者の作ったお話。 ロールマスターでこんなことがあった。 大飢饉が起こった世界。遠くの農村に行けば食料が高く売れるという商人から後払いで、キャラバンの護衛を頼まれる。 第一日目の村で、村の代表者が値下げ交渉してくるが、商人は「まからん」と、取引なし。 村を出発するものの、村の者が覆面して襲ってくる。商人が人質になり、戦闘は終わり。 護衛のものたちは、しばらくして馬車を追うと、商人と御者がスマキにされて転がり、品物は空っぽ。 商人は村を襲って品物を取り返せと叫ぶ。 さてどうするか。 なんて、胃癌と肺癌を選びなさいのような、シナリオ。 どう転んでも、悲惨な損害を受ける人が出るだけ。 全く、楽しくなかった。馬場理論どおりになっているけれどもそれが成り立っていれば、TRPGなのか。 |
|---|
| 物語的に面白いTRPGがもつのは、ポーカーや麻雀の「役」揃えのような、組み合わせ的な達成感とすると、物語的につまらない(物語を無視したような)TRPGがもつのは、順列的でいて組み合わせに不都合な「ブタ」のようなものとはいえませんか。 この特性は、なぜ連続的整合を目指そうとすることが楽しいかという理由になります。 こうして俯瞰すると、ゲーム性と物語性は全く相反する概念にはなりえないし、むしろ、親和性が高いともいえると思います。 |
|---|
ウラジミール・プロップの機能(ファンクション)カード
| 原則1 民話の恒常的で不変の要素は登場人物たちの機能である。この場合それぞれの機能がどんな人物によって、あるいはどんな方法によって為されるか、ということとは関係がない。 |
| 原則2 魔法民話の中に出てくる機能の数には限度がある。 |
| 眼即3 機能の継起順序は常に同一である。 |
| すべての民話にすべての機能があらわれるわけではなく、筋運びで省略、併合、統合がされる。はじまりの機能は途中からという場合もある。抜かした経過を取り戻すために後戻りすることがある。機能にはその反対の場合を含むこともある。 |
| プロップのカード | レッジョ・エミーリアでの ジャンニ・ロダーリのカード |
| (1)留守 | |
| (2)禁止 | (1)禁止 |
| (3)違反 | (2)違反 |
| (4)捜索 | |
| (5)密告 | |
| (6)謀略 | |
| (7)黙認 | |
| (8)加害(もしくは欠如 | (3)加害(もしくは欠如 |
| (9)調停 | |
| (10)主人公の同意 | |
| (11)主人公の出発 | (4)主人公の出発 |
| (5)任務 | |
| (6)魔法の授与者との出会い | |
| (12)魔法の授与者に試される主人公 | |
| (13)主人公の反応 | |
| (14)魔法の手段の提供 | |
| (7)魔法の贈り物 | |
| (15)主人公の移動 | |
| (8)敵対者の出現 | |
| (9)敵対者の悪魔的能力 | |
| (16)主人公と敵対者との抗争 | |
| (17)狙われる主人公 | (10)決闘 |
| (18)敵対者に対する勝利 | (11)勝利 |
| (19)発端の不幸または欠如の解消 | |
| (20)主人公の帰還 | (12)帰還 |
| (21)追跡される主人公 | |
| (22)主人公の救出 | |
| (23)主人公が身分を隠して家に戻る | (13)家への到着 |
| (24)にせ主人公の主張 | (14)ニセの主人公 |
| (25)主人公に難題が課される | |
| (26)難題の実行 | (15)困難な試練 |
| (16)損害の償い | |
| (27)主人公が再確認される | (17)主人公であることの再確認 |
| (28)にせ主人公あるいは敵対者の仮面がはがれる | (18)仮面をはがされたニセ主人公 |
| (29)主人公の新たな変身 | |
| (30)敵対者の処罰 | (19)敵対者の処罰 |
| (31)主人公の結婚 | (20)結婚 |
ファンタジーの文法 : 物語創作法入門ジャンニ・ロダーリ著 ; 窪田富男訳 物語はどこにでもある。眠っているだけ。目覚めさせるには「ファンタジー」を働かせればよい。でも、どうやって?著者はそのための数々の「技術」を治開する。それは同時に現代の教育に対する不信の表明であり、子どもたちの想像力を培い創造力を育むことこそ、これからの社会を作り出していくための必要条件であることを訴えている。 「BOOKデータベース」より [目次]
「BOOKデータベース」より |
| 個数 | 4面体 | 6面体 | 8面体 | 10面体 | 12面体 | 20面体 |
| 1個 | 4 | 6 | 8 | 10 | 12 | 20 |
| 2個 | 10 | 21 | 36 | 55 | 78 | 210 |
| 3個 | 20 | 56 | 120 | 220 | 364 | 1540 |
| 4個 | 35 | 126 | 330 | 715 | 1365 | 8855 |
| 5個 | 56 | 252 | 792 | 2002 | 4368 | 42504 |
| 6個 | 84 | 462 | 1716 | 5005 | 12376 | 177100 |
| 7個 | 120 | 792 | 3432 | 11440 | 31824 | 657800 |
| 8個 | 165 | 1287 | 6435 | 24310 | 75582 | 2220075 |
| 9個 | 220 | 2002 | 11440 | 48620 | 167960 | 6906900 |
| 10個 | 286 | 3003 | 19448 | 92378 | 352716 | 20030010 |
| 日本語タイトル | 原タイトル | |
| 第1シーズン(1990-1991) | ||
| 1 | 「キッド」(1) | The Kid |
| 2 | 「ガンファイター」(2) | Gunfighter |
| 3 | 「裂かれた心」(3) | Home of the Brave |
| 4 | 「駅馬車強盗」(4) | Speak No Evil |
| 5 | 「ルーの秘密」(5) | Bad Blood |
| 6 | 「逃亡奴隷」(6) | Black Ulysses |
| 7 | 「10セントのヒーロー」(7) | Ten-Cent Hero |
| 8 | 「偽りの軍旗」(8) | False Colors |
| 9 | 「蛇の入れ墨」(9) | A Good Day to Die |
| 10 | 「特別な友情」(10) | End of Innocence |
| 11 | 「悪女の涙」(11) | Blind Love |
| 12 | 「形見の手紙」(12) | The Keepsake |
| 13 | 「血塗られた地図」(13) | Fall from Grace |
| 14 | 「キッド受難」(14) | Hard Time |
| 15 | 「一夜かぎりの淑女」(15) | Lady for a Night |
| 16 | 「別れた夫」(16) | Unfinished Business |
| 17 | 「おとり」(17) | Decoy |
| 18 | 「バックの恋人」(18) | Daddy's Girl |
| 19 | 「わが名はブルドック」(19) | Bulldog |
| 20 | 「因縁の対決」(20) | Matched Pair |
| 21 | 「胸にバッジを」(21) | Man Behind the Badge |
| 22 | 「最後の1人」(22) | And Then There Was One |
| 23 | 「ホークと呼ばれた男(前編)」(23) | Gathering Clouds Part 1 |
| 24 | 「ホークと呼ばれた男(後編)」(24) | Gathering Clouds Part 2 |
| 第2シーズン | ||
| 25 | 「アフリカへの脱出」(25) | Born to Hang |
| 26 | 「 無実の女」(26) | Ghost |
| 27 | 「二人のヒコック」(27) | Dead Ringer |
| 28 | 「 疫病の町」(28) | Blood Moon |
| 29 | 「帰るべき世界」(29) | Pride And Prejudice |
| 30 | 「小さなカウボーイ」(30) | The Littlest Cowboy |
| 31 | 「高名な保安官」(31) | Blood Money |
| 32 | 「あるヒーローの死」(32) | Requiem for A Hero |
| 33 | 「痛恨の銃弾」(33) | Bad Company |
| 34 | 「幻の金鉱」(34) | Star Light Star Bright |
| 35 | 「危険な一座」(35) | The Play's the Thing |
| 36 | 「賞金稼ぎ」(36) | Judgement Day |
| 37 | 「奴隷商人」(37) | Kansas |
| 38 | 「信仰あつき人々」(38) | The Peacemakers |
| 39 | 「小さなデイジー」(39) | Daisy |
| 40 | 「いとしのサマンサ」(40) | Color Blind |
| 41 | 「悪夢の記憶」(41) | Old Scores |
| 42 | 「救われた村」(42) | The Talisman |
| 43 | 「黒幕の大物」(43) | A Noble Chase |
| 44 | 「和平の代償」(44) | Face of Enemy |
| 45 | 「処刑(前編) 」(45) | The Exchange Part1 |
| 46 | 「処刑(後編)」(46) | The Exchange Part2 |
| 第3シーズン | ||
| 47 | 「甘い汁」(47) | A House Divided |
| 48 | 「ジェシー・ジェームズ」(48) | Jesse |
| 49 | 「逃亡の果て」(49) | The Blood of Others |
| 50 | 「不運な恋人たち」(50) | Between Rock Creek And A Hard Place |
| 51 | 「アイクの死」(51) | The Presence of Mine Enemies |
| 52 | 「恋多きビリー」(52) | Survivors |
| 53 | 「ジェシーの兄貴 」(53) | The Initiation |
| 54 | 「遠い昔の思い出」(54) | Just Like Old Times |
| 55 | 「酒には弱いやつ」(55) | Spirits |
| 56 | 「虎と修道女」(56) | A Tiger's Tale |
| 57 | 「つらすぎる記憶」(57) | Good Night, Sweet Charlotte |
| 58 | 「奴隷解放のあらし」(58) | Song of Isiah |
| 59 | 「運命の書」(59) | Spies |
| 60 | 「実りなき思い」(60) | Shadowmen....... |
| 61 | 「妻を殺した男」(61) | Mask of Fear |
| 62 | 「 死霊に憑かれた女」(62) | Dark Blother |
| 63 | 「執念の追跡」(63) | The Road Not Taken |
| 64 | 「愛ふたたび」(64) | The Sacrifice |
| 65 | 「法の精神」(65) | Lessons Learned |
| 66 | 「心の重荷 」(66) | The Debt |
| 67 | 「戦禍(前編)」(67) | Till Death Do Us Part1 |
| 68 | 「戦禍(後編)」(68) | Till Death Do Us Part2 |
今日はVショウにスタッフ参加してきました。
開催用の備品を、用意した方にお金は出せない、いつ払えるか分らないということなので、僕が大半を折半しました。
もともと、僕がDUKE廣井先生のことを尊敬して、応援したいと加わっていただいているメンバーさんなので、本当に申し訳ないです。
尊敬するということは、 尊敬することを表明して自分を大きく見せようという、尊敬する側の心理がありますが、僕の中では、そういう尊敬は、唾棄すべきもので、尊敬される側は本当にきちんとした評価を下している人を見極める必要があるのだと思います。
よくそういう言葉を僕自身にもかけられますが、手放しで喜んでいられない。馬鹿にされていると受け止めます。
本当に尊敬するならば、その人の仕事に関わろうとするか、その意義(道具的存在論)を高めようと行動する。力になる。
肛門期的な願望を満たすだけの皮相的な尊敬は幼稚なのです。
今回は僕のためになるからと、金銭的に無理して動いたようでしたが、そういう無理強いは求めてません。無理なものは無理と、「自分」をしっかり持って欲しいです。
「自分」をしっかり持ててはじめて意義がある尊敬ができるからです。
Vショウでは、日本赤十字宛で、二十万円を越える募金が集まりました。
このたびの東北地方太平洋沖地震により被災された方々に、謹んでお見舞い申し上げます。
1日も早く復旧できますよう、心よりお祈り申し上げます。
銃器のカタログ性が乏しいのは他の本に譲るとして、Q&Aや年表、メカニズムなどをきちんとした用語で説明している本です。
嬉しいのはストッピングパワーの数式が表記されていることです。
図解ハンドウェポン大波篤司著 図解でわかる拳銃、ライフル、機関銃などの銃器ガイド。 「BOOKデータベース」より [目次]
「BOOKデータベース」より |
こちらは似たような表紙で一回り小さい本。一般読者向けの物書きさんのための資料と思います。いろいろ、書かれていることに例外が見受けられます。著者の方もその点苦心したようです。一般の鉄砲をよく知らない方に向けて書かれました。
用語などは、一般に流布している言葉に修正されたそうです。カタログ性はなくて、Q&Aをイラスト図版で説明しています。
図説 アメリカ先住民 戦いの歴史クリス・マクナブ著 ; 角敦子訳 ヨーロッパ人の新大陸開拓から19世紀末までにいたる、アメリカ先住民の戦闘をさまざまな視点から多角的にとらえ、詳細に分析。布陣図、地図など、200点を超える写真と図版を収めた。馬や銃器の導入からもたらされた根本的な変化、平原で騎乗のスー族が使った一撃離脱戦術、ブラックフット族の襲撃者が築いた戦闘小屋、チェロキー族をはじめ、広範囲の部族が得意とした偽装と隠密行動のテクニック…。主要な戦闘や軍事作戦をわかりやすく図解し、先住民の戦士たちの世界に読者を導く。 「BOOKデータベース」より [目次]
「BOOKデータベース」より |
内容はカラー図版が多く、「わが魂を聖地に埋めよ」に比べると、詳細な情報には欠けるけれども、戦争史としては先住民がなぜユーラシアやアフリカの戦争の伝統と異なる戦いをしたのか。
戦法や戦争勝利の概念が、根本的に異なっていたことを明らかにしてくれます。
一方でマニフェスト・ディスティニーの考えのもとに、戦争勝利の権限を絶対的なものとして押し付けてきた論理がやっと理解できました。
[目次]
「BOOKデータベース」より
[目次]
「BOOKデータベース」より
1989年刊。
リボルバーからオートマチックまでのピストル。カタログ性の高い本です。
コルトSAAのフィールドストリッピングが3枚の写真できちんと載っています。展開図、断面図。コルトのバリエーションの写真も豊富です。
R.L.ウィルソン氏監修です。カラー写真が多くカタログ性が高いです。コルト社の歴史についても書かれています。シリアルナンバー表は初めて見ました。
S&Wです。ボルカニックライフルを含みますので、「銃器編」とされているのでしょう。カラー写真が多くカタログ性が高いです。S&W社の歴史についても書かれています。
コルトのリボルビングライフルも載っています。
| C.ウィッケンズによる人間の判断過程に関する十二の特異的な側面への指摘 | |
| 1 | 人は初期の経験事象や情報に重きをおくため、それ以降の情報を重視しない。 |
| 2 | 人間は保守的なため、情報源から十分な情報を引き出そうとしない。 |
| 3 | ある選択肢への思い込みをもつと、その選択が極端なものか、最適なものかどうかを評価しようとしない。 |
| 4 | 多くの情報を集めるにつれて必ずしも正確ではなくなるのに、自分の判断により深く信頼を寄せる(自分の判断に有利な情報を集めていることに気づかない)。 |
| 5 | 人間は適切に吸収しうる以上に欲張って情報を集めようとする(情報に溺れる)。 |
| 6 | 人はすべての情報があたかも等しい信頼性を持つかのように扱う。 |
| 7 | 人間はせいぜい一度に三~四仮説しか扱えないほどの能力しかもちあわせていない。 |
| 8 | 人は数種の重要な特徴に焦点を絞りがちで、しかもその特徴にかかわる二~四つの可能な選択肢に最も高い順位を与えて判断しがちである。 |
| 9 | 人は自分のとった行動を確証する情報を求め、反証するような情報やテスト結果を避けがちである。 |
| 10 | 得られるもの以上に潜在的損失を過大視するため、その損失を意識した判断をする。 |
| 11 | 人は、ネガティブな結果よりある程度の好結果が得られればそれを選択すると信じ、最高の結果よりそこそこの好結果を受け入れる、と信じている。 |
| 12 | 人はひどくネガティブな結果より、まあ仕方ないという結果のほうを受け入れるものと信じる傾向にある。 |
人間のどんな判断過程でも、当てはまる指摘でしょう。
TRPGを上手に運用するには、こういった十二の指摘を念頭においてプレイすると、楽しい時間を作り出せるのではないでしょうか。
●一目でわからせる文書設計のコツ
[コツ1]
| 漢字使用率を三〇%程度にする。 ・・・一般的には、漢字が二五%から四五%、かなが四五%から六五%、残りがカナや句読点である。 |
[コツ2]
| カタカナは、漢字とは逆にその字形の簡単さゆえに「図」になりやすいので、慎重に使う。 |
[コツ3]
| ひらがなについても、多すぎるときは、読点を多めにしたり、カギカッコや下線などの飾りを使うようにする。 |
[コツ4]
| 見た目のまとまりと意味のまとまりとが一致するように表記する。 |
[コツ5]
| 読んだときに意味の「大きな」まとまりが「すんなりと(瞬間的に)」頭に入るところあたりに打つ。・・・文節数にして五個くらいが一応の目安。 |
[コツ6]
| 漢字の使用率を三〇%程度にすることである。 ・・・助詞、副詞、接続詞などの付属的な働きをする語、送りがななどは、かなにすること。「事」「為」はかなにすること。 |
[コツ7]
| 一文に込める命題の数を減らすということ。 ・・・「文を短く」。「一文一義」を原則にする。接続詞や指示代名詞、連接性に気を使うことになるため、二命題、三命題程度。 |
[コツ8]
| レイアウトを工夫して視覚に訴える文書にする。 ・文字を大きくする。 ・一行の文字数を少なくする。 ・一頁の行数を少なくする。 ・見出しを増やして、本文との対比を際立たせる。 ・図表や図解などを増やす。 |
[コツ9]
| メンタルモデル駆動の読みを支援する。 ・見出しも、既有の知識でわかるようなものにする。 ・理解の鍵になるところでは、図解を併用する。 ・大事な用語は目立つようにする。 |
のような図の面積を単純に出す計算方法を用います。
五線譜判定は、系統誤差などの項目はもちろん、「少女を抱き抱える」「2mの縁を飛び越える」「飛び越えたらキラリと歯を光らせる」「息を乱さず愛を告白する」などのプレイヤー側の演出リクエストにも適用します。
その判定のレベルも、高い順に並べるなどして、上の方法で、「全て成功/失敗する確率」を出し、難易度・容易度を決めます。
| A | 非A | ||||
| B | 非B | B | |||
| C | AかつBかつC | Aかつ非BかつC | 非Aかつ非BかつC | 非AかつBかつC | C |
| 非C | AかつBかつ非C | Aかつ非Bかつ非C | 非Aかつ非Bかつ非C | 非AかつBかつ非C | 非C |
| B | 非B | B | |||
| A | 非A | ||||
| グーがでる | グーが出ない | ||||
| パーがでる | パーが出ない | パーがでる | |||
| チョキがでる | あいこ | グーの勝ち | 全員チョキ | チョキの勝ち | |
| チョキが出ない | パーの勝ち | 全員グー | ありえない | 全員パー | グーかパーだけ |
| グーかチョキだけ | |||||
| グーがでる | グーが出ない | ||||
条件が4つ以上の場合も同様にして行あるいは列を増やすことで書くことができます。
各部位の長さがわかっているとき、身長を求める方法です。身長が分かっているときの各部位の長さを逆に求めることができます。
マンガ絵などではないようなデフォルメがない絵を書くときや、自分の身長が分かっている時、服のサイズを選ぶときに役に立つでしょう。
| 腕全体の長さ | |||||
| 男性 | 女性 | ||||
| 人数 | 平均身長 | 測定値 | 人数 | 平均身長 | 測定値 |
| 110 | 170.6 | 72.7 | 107 | 158.6 | 66.9 |
| 42.61% | 42.18% | ||||
| 上腕の長さ | |||||
| 男性 | 女性 | ||||
| 人数 | 平均身長 | 測定値 | 人数 | 平均身長 | 測定値 |
| 110 | 170.6 | 30.8 | 107 | 158.6 | 28.4 |
| 18.05% | 17.91% | ||||
| 前腕の長さ | |||||
| 男性 | 女性 | ||||
| 人数 | 平均身長 | 測定値 | 人数 | 平均身長 | 測定値 |
| 110 | 170.6 | 24.1 | 107 | 158.6 | 21.9 |
| 14.13% | 13.81% | ||||
| 脚の長さ(恥骨の高さ) | |||||
| 男性 | 女性 | ||||
| 人数 | 平均身長 | 測定値 | 人数 | 平均身長 | 測定値 |
| 110 | 170.6 | 85.1 | 107 | 158.6 | 78.9 |
| 49.88% | 49.75% | ||||
| 脚の長さ(転子高)大腿骨の付け根の高さ | |||||
| 男性 | 女性 | ||||
| 人数 | 平均身長 | 測定値 | 人数 | 平均身長 | 測定値 |
| 110 | 170.6 | 86.5 | 107 | 158.6 | 80.1 |
| 50.7% | 50.5% | ||||
| 膝下(ひざした)の高さ | |||||
| 男性 | 女性 | ||||
| 人数 | 平均身長 | 測定値 | 人数 | 平均身長 | 測定値 |
| 110 | 170.6 | 46.7 | 107 | 158.6 | 42.9 |
| 27.37% | 27.05% | ||||
| 足の大きさ | |||||
| 男性 | 女性 | ||||
| 人数 | 平均身長 | 測定値 | 人数 | 平均身長 | 測定値 |
| 110 | 170.6 | 25.3 | 105 | 158.7 | 23.4 |
| 14.83% | 14.74% | ||||
女の子が高いところのものが取れないとき、全く同じ身長の男の子が同じ高さのものを取れて「ムカッ」と怒る理由がわかりますね。
参考URL
身長別-男女のボディサイズ平均
新品です。
ほか、ウィルソン氏の本は、どうやって買えばいいのかと教えてくださいました。欲しい方がいらしたら連絡ください。
http://www.wilsonbooks.com/のAmerican Arms Collectors Percussion Colts and Their Rivals–The Al Cali Collectionに興味が有ります。
Vショウ参加者の皆さんお疲れ様でした!
下書きです。
(Cm)遊びを共有できる人間関係
(G)ゲームメカニクス
(Rps)ロールプレイ(役割演技)での主人公並列と協調への合意
(Info)舞台世界の情報とPCのポジション(役割体験)
(RP)感情移入(役割取得・推測理論)(or インタラクティヴ?)
(S)ストーリー・物語の好ましい組み合わせ(メッセージやテーマ)
S/RP/Info/RPs/G/Cm これを図にすると、下図のようになります。
ハノイの塔のように、下の四角は上よりも大きいと安定します。
コミュニケーションの社会学長谷正人, 奥村隆編 「互いにわかりあうのがよいコミュニケーションである」という思いに囚われている現代社会。本書はその常識に疑問を投げかけ、コミュニケーションの文化的豊かさを、リアルな人間模様を描く事例から描き出し、新しい社会学を提示します。 「BOOKデータベース」より [目次]
「BOOKデータベース」より |
「互いにわかりあうのがよいコミュニケーションである」という思いに囚われている現代社会。本書はその常識に疑問を投げかけ、コミュニケーションの文化的豊かさを、リアルな人間模様を描く事例から描き出し、新しい社会学を提示します。
「記号論」は、人間のコミュニケーションの間接性、虚構性、演技性を強調するところに魅力がある。(ex:フェルマン[1980=1991])
つまり、私たちは無意識のうちに、伝統的な生活のなかで交わしてきた具体的な「交際」や「つきあい」とは違ったニュアンスをもつ言葉として、「コミュニケーション」を使っているらしいのだ。
戦後民主主義的な知識人の言説を通して「コミュニケーション」という概念は使われるようになり、やがて1980年代以降のポストモダン社会において、社会の流動性が高まるなかで「コミュニケーション・スキル」を磨かなければ社会人として出世できないといった表現を通して、直接的な個人同士の関係にも「コミュニケーション」という表現が使われるよう変化した。その意味で「コミュニケーション」という概念は日本では最初から個人主義的で民主主義的な意味を帯びて導入された。
私たちは、コミュニケーションによって人間同士がわかりあうことが人間関係を良くすることだというタテマエの神話から、いい加減に解放される必要があるということだ。つまり「コミュニケーションの社会学」は、「いかに私たちはコミュニケーションによって相互理解にいたるべきなのか」という常識的な問題設定に疑問を付し、たとえいじめや暴力や自殺のような辛い事実であっても、そのなかに人間が互いに葛藤しながらコミュニケートしている営みの豊かな表情を読み取り、そこで人間がなにをしようとしているのかを明らかにしたい。
土井(隆義)は著書『友だち地獄』でこう述べる。いまの若者たちは、他者との対立を回避することを最優先にするやさしい関係を結んでいる。相手を傷つけない・自分が傷つけられないように、繊細に互いに配慮して対立の要素を徹底的に排除しようとする。この関係を乱す者は「空気の読めない者」として忌避され、いじめの対象となる。
こうした関係のなか、「純粋な自分」でありたい、それを承認しあう「純粋な関係」を築きたいという願いが高まり、現状の配慮しあう関係は「偽りの関係」に見えて絶望感を深めてしまう。そして、純粋な関係が可能な場として、「本音」をいいあえるネット上の関係が求められ、「内発的な衝動や直感」(=純粋な自分)が投げ出される。(土井 2008:9-10,46-49)。
この関係を支えるものに「対等性の原則」がある。価値観や意見の押しつけへの強い嫌悪感を持ち、上下関係は少しの時間も容認できず、「上から目線」にめっちゃムカつく。対等を守らなければ怒り出すこわい人が増え、互いを腫れものや爆発物として扱わなくてはならない。(森真一 2008:50-64,117)
社会を作るのに、意識をもった人がモノを生産するという「成果」を志向する行為(「道具的行為」)は不可欠だ。だがそれは一人ではできず、「成果」志向で他人とかかわる「戦略的行為」も重要となるだろう。しかしこれでも社会はできない。「道具的行為」「戦略的行為」のような「成果」志向とは違う、相手を「わかる」=「了解」を志向する行為があってはじめて社会は成立するのではないか。この「了解」志向の行為を「コミュニケーション的行為」と呼ぼう。(ユルゲン・ハーバーマス)
だが、コミュニケーション的行為では別の基準、「コミュニケーション的合理性」が必要ではないだろうが。これは、「究極的に強制をともなわず議論によって一致でき、合意を作り出せる重要な経験に基づ」き、これによって各人は最初の主観的な考え方を克服して相互主観性が保証される、という合理性である。
三つの妥当性要求、「真理性(本当かどうか)」「正当性(人間関係が成り立つような社会規範に従っているか)」「誠実性(考えていることを誠実に発言しているかどうか)」。これらが満たされていなければ、「権力的要求(~しなければ~してやるぞ、というサンクションで人を動かそうとする)」と呼ぶ。
「権力」ではなく、妥当性要求に応えながら話し、それを「根拠」としてわかりあい合意が成り立つ。これがコミュニケーション的行為であり、これは了解の機能、行為を調節する機能、行為者を社会化する機能を果たす。
「地平」(相互にわかりあう条件)として、E.フッサールに始まる現象学の用語「生活世界」という概念を使おう。コミュニケーション的行為ではなにかを解釈するプロセスが生じるが、自明で確信に満ちた「文化的に伝承され言語的に組織化された解釈範型のストック」が共有されているから、コミュニケーションが成り立つ。このストックを「生活世界」と呼ぼう。これはコミュニケーションの前提であり、コミュニケーションにより再生産されるものだ。
<社会統合>「生活世界」が了解を志向するのに対し、<システム統合>市場=交換関係や国家=権力関係は「成果志向」である。
<システム統合>によって<社会統合>が侵されているのではないか。言語による合意形成よりも、貨幣や権力という制御媒体の効率性が高いことから、相互行為は生活世界から切り離され技術化される。言語による合意形成が貨幣や権力にとってかわられて、システムが物象化したり文化が貧困化したりする「生活世界の植民地化」が生じているのではないだろうか。
妥当性要求を理解して、これを満たした合理的な根拠のある合意にいたるよう議論をすること、これが「討議」だ。
ルールとして、
なにか規範を決めるとして、それに影響を受けるすべての当事者が、合理的に討議して合意できるものだけをだとうとすること。
語り行為をする能力をもつすべての人が討議への参加を許され、誰もがどんな主張をも話したり問題視したりでき、こうした権利を行使することが内的・外的な強制により妨げられないこと。
このルールによって討議を強制や抑圧や不平等から守り、合意に達することができるだろう。(ハーバーマス)
「社会」が実在するという立場があるが、社会が個こ人の集まりにすぎないとすればそれは実在せず、他方で「個人」も究極の単位ではなく「無数の社会的な糸の交差点」にすぎない。
結びつくか/離れるかではなく、結合するから分離し/分離するから結合する。私たちはさまざまな境界にこの両義性を発見する。相互作用もこの両義性に満ちているのではないだろうか。
分離が結合を生み、結合が分離を生む。私の考えでは、社会とは「調和と不調和、結合と競争、好意と悪意のなにほどかの量的な割合を必要」とし、調和、結合、好意だけの社会がよいという考えは通俗的で皮相な見解である。
関係とは「一定の無知」と「相互の隠蔽」を前提とし、無知、隠蔽、秘密がコミュニケーションを支えるのではないだろうか。
では、コミュニケーションの歓びはどこにあるだろう。「社交」という楽しいコミュニケーションを考えてみよう。相互作用にはさまざまな内容や目的があるが、「社交」とはそれから解放された相互作用のための相互作用であり、「純粋の「社会」」「社会的遊戯」と呼んでもいい。たとえばなにが正しいか、どうしたら合意が得られるかなど「議論が実質的になる途端に、もう社交的でなくなる」。社交はこれを排除することで自身以外に目的をもたないコミュニケーションとなり、社会は「遊戯」になる。(ジンメル 1971=1979:81,85-86)
恋愛ゲームのひとつ、女が示す「コケットリ」について話して終わりにしよう。男が女を求めるが、女のほうは「与えることを仄めかすと思えば、拒むことを仄めかすことで刺戟し」、「惹きつけはするものの、決心させるところまで行かず」、「避けはするものの、すべての望みを奪いはしない」
「対話/権力パラダイム」ではとらえられない。「対話」が了解や合意を志向するのに対し、「遊戯」はなにもめざさない。そして「対話」を始めてしまうと社交の楽しさは台無しになる。「わかりあい」「合意をめざす」ことが関係を破綻させることがあり、冷淡に距離をとり秘密を守ること(「分離」)が関係を続け(「結合」)、コミュニケーションの歓びを生むとジンメルはいう。(ゲオルク・ジンメル)
「儀礼」。私たちは神を礼拝するのと同様に他者の自己という「聖なるもの」を拝み(「敬意」と呼ぼう)、私自身も神のように他者から拝まれるに値するものだということを呈示しようとする(「品行」)のではないか。
敬意の一つは、まず相手が「聖なるもの」だから侵さないよう距離をとる「回避的儀式」。接触しない、注視しない、言及しないなど、トーテミズムの「禁忌(タブー)」と似ている。
もう一つの敬意は逆に、相手を重要だと思っていると示す「呈示的儀式」。挨拶、賞賛、サービスなど、神への「供犠(いけにえ)」に近い。
同時に、他人に適切な敬意を示せる「きちんとした人」だと示すことで、他人からの敬意に値する存在だと示そうとする。これが「品行」である。[アーヴィング・ゴッフマン]
「演技」。誰かといっしょにいると、どうしてもなんらかの印象を与え、なにかを表現してしまう。私たちはこれを統御する「印象操作」をいつも行っている。
私たちは複数の役割を演じる俳優として「オーディエンスの分離」を行ない、印象を操作する。
印象は「ささいな不運な出来事でこなごなになりかねない繊細な壊れ物」である。だが、当惑を招く事態をパフォーマーたちは必死にとりつくろって自分のショーを救おうとするだろう(「防衛措置」)。また、観客の側もそれを察して見て見ぬふりをしたり、あからさまな言いつくろいを許容したりして相手のショーを救うよう援助する(「保護措置」)自分のショーを演じ切る「自尊心のルール」と相手のショーを救う「思いやりのルール」が私たちに要求されており、これが相互行為を秩序づけることになる(ゴッフマン)
印象操作を行うさい、「表局域(front-region)」と「裏局域(back-region)」が生まれる。
舞台裏は表舞台での演技にとって必要だが、それは表舞台と慎重に分離されなければならない。
私たちは役割を演じるが、表局域でも役割に100%コミットするわけでもなく、役割と自己のあいだにくさびを打ち込んで役割に呑み込まれない「自己(selfhood)」を表そうとするのではないか(「役割距離」)。
表舞台の役割の秩序から隠すべき私を持ち出すことで、相互行為の秩序もそこから外れる「自己」も維持される。
演技や儀礼のルールから逸脱した人が登場した場合を想定する、敬意・品行・思いやりのルールも自尊心のルールも身につけず、皆が表と裏を繊細に往復しているのにぶちこわしにする人。「感受性が鈍すぎ、機転に乏しすぎ、思慮がなさすぎる」、空気が読めない人は、「安全を脅かす存在」だろう。「仲間外れ」にし、不自然で不完全だとし、さらには「病気」だと考える。それによって「社会的集まり」を守る必要が生じることになるだろう。
「精神障害者」は、「役割」を剥奪され、服装や髪形は標準化され、氏名も奪われる。「情報の聖域」(私信やプライバシー)は侵犯され、身体もすみずみまで検査される。舞台裏の空間も監視によって奪われる。つまり「儀礼」「演技」の基盤が剥奪される。こうして彼らは「自己」をもつことができず・もつ必要もなくなって、「精神病院の被収容者として生きていくこと」を学んでいく。この状況は「自己が無力化される過程」である。
儀礼や演技は私たちが「私」でありつつ、人とコミュニケーションするための基盤である。(ゴッフマン)
Iとmeから自我はなる。Iは「自由」や「自発性」の感覚を与えるものだ。meは、経験の蓄積による因習的で習慣的な個人。Iにおいて衝動的行動は統御されず、meはこれにたいする検閲官であって、Iの反応は社会状態の堕落かもしれないし、より高次な統合かもしれない。自我はこのIとmeの会話として存在する。
このIが作動することがなければ、苦しいことだろう。Iは自由な創発性をもつ。(ジョージ・ハーバート・ミード)
人間のコミュニケーションでも、ある発話が「遊びのモード」か「まじめのモード」か、「空想」か「神聖」か「比喩」 かを示すシグナルが伝達されている。「コミュニケーションについてのコミュニケーション」を「メタ・コミュニケーション」と呼ぶ。これは、姿勢、身振り、顔の表情、声の抑揚、文脈などの非言語的な媒体で行われる。
対等な関係でのパラドックスが「遊び」や「ユーモア」を可能にするとすれば、非対称な関係でのパラドックスはある場合(ダブルバインドによって)病理を生み、ある場合にはそれなしには不可能な創造的な生成変化を生んで、人を習慣から自由にしたり癒したりする(回心や覚醒)のだ。創発的なものがコミュニケーションのパラドックスによって引き出される。(グレゴリー・ベイトソン)
情報が送り手から受け手へと移転される「移転メタファー」でとらえる立場では、「情報」「伝達」「理解」のうち、受け手の「理解」により成立するとする。
「ダブル・コンティンジェンシー」二重の偶有性。私(A)は自分がどう行為するかを相手(B)がどう予期しているかによって決めようとする。ところが相手(B)も私(A)がどう予期しているかによって自分の行為を決めようとする。だから、どちらも行為できない。(ルーマン)
出方が少しずつあらわれ、最初よりはどう行動すべきかわかってきて、どこかに収斂していく。価値コンセンサスなどなくても「偶然」に開かれて解決していくのであり、「神が何も与えないとしてもシステムは生じるのである」
相手の自由を容認するから続いていく接続は、「(暫定的ながら)相手とのやりとりのうえでうまくいくもの・・・を選択するチャンス」によって根拠づけられる。
「わかいあい」「根拠」「合意」のないまま社会が成立する。
「合意」のあと「コミュニケーション的行為は中止される」単に「規範」を持ち込むだけで、伝達のみを「行為」として取り出して道具的だとか戦略的だとか論じ、規範的にコントロールできないと私は考える。
「理解」のあと、理解されたことに人びとが賛成するか反対するか「コミュニケーションとは、肯定と否定に対して開かれた」ものであり、その次へと接続されていく。
「理解するということには、程度の差はあれかなりの誤解がノーマルなものとして含まれている。」すべての誤解を解こうとするとコミュニケーションはとても難しくなる。次の行為で修正されれば十分であり、「わたしたちはこうした誤解と折り合いをつけることでいい」(ルーマン)
ゲオルク・ジンメルは、他人を完全に理解するためにはその人と同じ人格をもつことが必要であるが、そんなことは不可能だと述べたことがある。コミュニケーションについても同じことで、人間が個別的な存在である限り「完全なコミュニケーション」はほんらい不可能なのである。その意味でディスコミュニケーションは不可避であるが、鶴見俊輔もいうように、「ディスコミュニケーションは、決して、いつも悪いもの」ではない。たとえば、それはしばしば「思索の飛躍」を助け、科学や芸術に新しい成果をもたらす。」
ディスコミュニケーションは、むしろ人間のコミュニケーションの豊かさ、ふくらみ、楽しさなどを作り出しているのではないか。
しかし、ディスコミュニケーションのこうした働きにもかかわらず、一方ではディスコミュニケーションを嫌い、否定する風潮も根強い。対人関係の円滑化だけに特化された「コミュニケーション力」の強調は、いまや社会的強迫観念に近づいているようにも思われる。
実際、自分はコミュニケーション力が低い、コミュニケーションが下手だという悩みをもつひとは、ディスコミュニケーションに敏感であるに過ぎない場合が多い。そういう感受性のゆえに、かえって対応がうまくいかないのだ。だいたい、自分がコミュニケーションが上手だ、得意だ、などと思っている人のほうがどこかおかしい。
あらゆる人間が自らのうちに「奥深い個性の要点」(ジンメル)をもつのであれば、ディスコミュニケーションは不可避であり、むしろ常態なのだから。
西部劇で西部史との照らし合わせで、難渋するのが、
・実在人物伝
・銃器や電気製品の技術史
・インディアン
・馬の品種
だと思います。
例えば、西部の銃豪、ワイアット・アープでさえも、一冊の研究書があります。
津神久三先生の本です。
銃器に関しては、オールド・ウエスタンでは、SAAを用いていましたが、マカロニウエスタンの影響もあって、単なるプロップではない考証が、「ロンサム・ダブ」あたりのTVドラマから始まりました。何年に発売されたから、何年の新製品という位置づけです。
マカロニウエスタンは考証とは逆に珍奇な「ガンブレラ」や「ミシンガン」という開き直り? でプロップガンの意外さを追求したものもあります。
技術史では、考証は珍しくて、「天国の門」が、筆頭に挙げられます。大変な制作費をかけたにもかかわらず、興行成績は致命的なほど悪かったとされます。当時の文明度は、この作品に見られます。
インディアンに関しては、服飾や文化、迫害の歴史と復権運動といった、複雑な問題があります。とても一冊の書物では語り切れないでしょう。
最後に、馬の品種ですが、西部劇に出てくるのはほとんどがクオーターホースのようですが、品種として成立したのは第二次大戦後です。つまり、西部劇には出てきますが、西部史上には存在していないはずなのです。
こういうことを指摘するのは「西部劇」については粋ではないし、野暮なのですが、「考証」の点からは厳しく否定する方もいます。
そのため、これらは、趣味についての喧嘩や対立の原因になってしまいます。そのため、鬼門といっていいと思います。
なんの作品のどんな考証を支持するかということは、私たちはアメリカ人ではないので、ジャパニーズの考証としたほうがよさそうです。
物理的にガンブレラは成立しませんが、ステッキガンからの着想とすればアリだと思います。
だたし、単純に威力や正確さの超人性が描かれるのは、どうも僕には楽しめなくなります。
90式戦車を2台貫通すると吹聴されるようなものと、同じ気持ちです。
2011.08.27「メモ」
この本においてのゲームである部分、ゲームではない部分の分類において、語られている「ゲーム」の齟齬が僕の中では明らかになりました。
僕はTRPGセッション全体がゲームもしくは遊びであるとして認識していました。
そうではなく、ゲームへの駆動部分で走っている「間」のようなものが、「ゲーム」を「葛藤・結果に対する責任・アカウンタビリティ」によって成立させる仕掛けだとしていることです。
「間」=「遊び(遊隙)」として、「ゲーム」成立の仕掛けだとすれば、GMの面からは「葛藤・結果に対する責任・アカウンタビリティ」を与えるパートを用意すればいいだけかもしれません。
しかし、もしセッション全体を通じて俯瞰したとき、PLのPCと、TRPGの僥倖を享受する主体であるPLとGMは、どこに位置するのでしょうか。PLは面白そうな選択肢に飛びついていいのでしょうか。逆にGMはPCを無視してゲームを仕掛けていいのでしょうか。
やはりここで、PCの再演性が全体に「遊動」していて、PLはPCではないことを前提に、「遊戯であるということが偽りないコミュニケーション」が成立していることは、前提に据え置かれなくてはならないのだと思います。
「ゲーム」を与え合う主体的な関わりでもって、GMも、PLも互いに作用し合い、どこが「ゲーム」でどこが「間」であるかという境界は、「葛藤・結果に対する責任・アカウンタビリティ」という概念では、区画化できないのです。
さらに、意志決定の主体であることになっているPCが成立するためには、「間(遊隙)」、駆動部分の「間」において、PCが表出するところなのですから、PLはそこで、再演性を発揮しなくてはならない。僕は再演性と呼びますが、「心情描写」「感情移入」「演技」「キャラづくり」「キャラ立ち」と、言われるものです。
再演性自体が、PLの創発的な「葛藤・結果に対する責任・アカウンタビリティ」によって成り立ちます。
これは、「非対称なコミュニケーション」「ダブル・コンティンジェンシー」や「ディスコミュニケーション」、「回避的儀式」「呈示的儀式」「演技」などを駆使して、「無数の社会的な糸の交差点」に立たせることでしょう。
この作業はTRPGの重大な点で、この本で取り扱う狭義の「ゲーム」だけでは語り尽くせないでしょう。ですから、どうしても、「ストーリー」とか「ドラマツルギー」といった要素に言及しなくてはならないのです。
この本にあるとおり、一般的にTRPGは単純な、「制圧」を主軸としたマンネリズムに固執しています。しかし、そこから派生したものは、再演性です。ごく単純なストーリー構造を踏襲したために、魅力的で豊かな鉱脈にぶちあたってしまったのです。
「ストーリー」とその「シークエンス」のゲームにおいて、僕がアプローチする地平を改めて痛感させられた気がしました。
と、同時に背反するのですが、ゲーム性を追求してデザインするべきという悪戦苦闘をしなくてもいい。ゲーム性はユーザーが作り出せるようにするだけでいいのかもしれないと、重い肩の荷を下ろせた気もして、勇気づけられました。
成長系TRPGはどうも苦手です。
あるとき、新規参入のPLの扱いに難儀しました。
「TRPGの上達はTRPGをやった時間と経験だろ!PCが強すぎて何が悪いの!」と、熱弁されたことがあります。
「でもそれはPCのデータではなくて、紙に記録しなくてもTRPGユーザにしっかりと含まれているよ」
との、やり取りをした覚えがあります。
ルールの読み込みを大切にしているサークルにいたのですが、誤植や解釈の漏れ、特にTORGの山北ルール?とよばれるものにこだわっていました。
ハイロードたちよりスペックの高いPCが、作りたてのPCと併存していて、ラリー・ニーヴンの「魔法の国が消えてゆく」ほどの差があって、作りたてのPCをどうするか。作りたてに合わせるか、ハイレベルな方に合わせるか、悩みました。チートしているゲーマーとしないゲーマーの対立に近いです。
成長系TRPGの一つ、TORGのように、世界上の成長に対するリミットが、ないのはマズイです。PCが年をとっていかなかったり、ライフイベントがなかったり、ちょっとおかしい。
ある程度まで成長したら「王子様とお姫様は幸せに暮らしました」というふうにエンディングは、成長ものには用意するべきです。
例えば、TORGでセル・アーネイ女王とイイトコロまでいったとか、密約があるとか、PLが説明しても、そもそも、そのキャラはもちこむなよ~と、ツッコミたくなります。
そういう経緯を説明するような記録、そのくらい残してくれれば生かせますが、そういうコメントが出る時点で親しい仲だからゆえの・・・というものがあるのでしょうが。閉口します。
成長系TRPG、とくにワールド付属のものには、GMがスイッチすることを考えたデザインが必要だと思います。ワールドのキーパーソンとの関係をどうするか。
PLの思い入れを壊したくはないし。
GM間でPC情報共有なんて、現実的ではないでしょうね。
PLに経験値が入る方式でも、単なる殉職対策に過ぎない扱いで、キャラクターは固定していたほうが有利だったりします。PLに経験値が入ったら、消費するような形式が、多分おかしいと思います。PCが財物のようになってしまいます。
できれば、PC作成には、時間をかけないで、インスタントに作成したい。
個人的見解では、TRPGユーザーは、一個のルールのつめこみ派と、多彩なもの大好き派で分かれます。
たぶん、初期のD&Dからのスタートか、マイナーなT&Tやクトゥルフからかとかで、流儀の違いが出てきたのと一緒だとおもいます。
旧ソードワールドひとつでも、この二派は遊び方に違いがあって、ちょっとした齟齬を生んでいました。互いに、反りが合わないので、コンベンションでは、GMの評価は二分する極端なアンケート結果が多かったのです。
具体的には、ルール通りに厳密に、短剣が与えられるダメージを限定するとかしないとか、眠っているエネミーに命中判定をするとかしないとか、ですね。
T&Tで、セル=アーネイ世界なんかを舞台にすると、最近はPCのT&Tのエミュで、ソロアドベンチャーのノリで臨む人がいたりする。
思いますに、雑誌「ウォーロック」の洗礼は、大きかったと思います。
T&Tの「トロールの言葉」に大きく影響されたんじゃないかな。
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1 トロールの言葉 (略)私たちが(想像の中だけにせよ)ちょっとの間、簡単な世界に遊びたいと思ったとき、ファンタジー・ロールプレイはそれをかなえてくれます。このゲームでは、私たちは、ほかのエンターテインメントでは得られない、自分自身が参加する物語に出会います。そのため、『トンネルズ&トロールズ』ではみんなが積極的に想像力をはたらかせる必要があります。決して自分が作ったものでもない世界で、ルールに奴隷のようになってはいけません。この本にはたくさんの「ルール」がありますが、次のことだけは覚えておいてください。こうしたルールは、いちど使ったものを、何なら何までさがして作りなおす手間を省くためにあるのです。ゲームをもっと自分の好みに合うように変えたい部分があれば、べつにためらうことはありません。「正しい」、あるいは「まちがった」遊び方というのはありません。ただ、こうしたらいいなという提案があるだけです。 |
D&Dのコンセプトは「遊び込む」タイプで、ルールの穴をできるだけ埋めていこうという印象があります。
一方、T&Tのコンセプトは、ルールを穴だらけにしておいて、ユーザーが臨機応変に埋めていく印象があります。
D&Dはコマーシャルモデルになっていて、正規のルールが「建前」ですよね。
T&Tはローカルルールがあることが前提です。
シミュレーション・ゲームからして、初期設定をいじって遊ぶのは常套というか、そうしないと遊べなかったです。必ずウォーゲームでは戦勝国は勝つようににシナリオがあったものです。
ローカルルール万歳!という人と、深刻に公式ルールを問い合わせてくる人の違いは、このへんの事情に疎いんだと思います。卓を囲むたびに、メンツしだいで僕のように気が重くなる人がいるんだろうなあ。
あるTRPGメーカーのTRPGには、キャラクターテンプレートに年齢が決まっているのですが、25歳のところを6歳にしていいですか? というような問い合わせが来るそうです。いちいち問い合わせなくても、黙ってそういう改造をすればいいのに、誰が責めるというのでしょうか。
もしや、コミュニケーションの障害でも持っているのでしょうか。
ローカルルールはコマーシャルモデルとしては最低だけれど、商品にリスペクトする点では、大いに歓迎されるもの。変な誤植や記載ミスによらないことは前提として。
初期の新和の同人誌狩りは、その流れにちょっと影響したかもしれないですね。
法律学者のTRPG
前の記事で書きましたが、僕が所属していたサークルはルールの読み込みを大切にしています。
TORGは複数回行動というルールがあって、攻性防御というルールもあります。ルールブックでは「小数点切り上げ」をするように指示されています。
そこで出たのは、100回防御して100回攻撃するというヘンテコ解釈です。概念上行動回数は一万回になろうが、小数点切り上げなので、行動回数は減りようがない。
このルールをある特定のPL、そのPCにだけ適用するという、ローカルルールです。 噴飯物でしたが、改善されました。
もし、上の例のような解釈がNPCに適用されたら?
もう一つ、ブレカナで、三名の因縁の決定で、ABC三人のうち、AB同士の因縁が決まりCには因縁が結ばれない。Cは自分のアルカナを引いたら戻すことができないのです。
このケースはデザイン上のミスではないか? と、 要するにハブられたキャラということだ! との解釈が対立しました。
つまり、ABCは、BCA、CABの二通りしか成立しないのです。
この対処はルール通り、「自分のアルカナを残らせないように決める」というルールブック通りに運営されることになりました。
もし、他の人ではなく自分にもそういうケースが適用されたら?
http://okwave.jp/qa/q1331434.html
より引用開始##
ゲームを作りたい!という人は、いきなりプログラミング言語を勉強したり、数学を勉強したりするのではなくていい。
まず根本的に、ゲームを作って世の中に広めたいのでしょう。
他の人にバカにされたり、他の人を馬鹿にしたりというのは単に時間を浪費して、モチベーションを下げるだけです。
個人的に遊ぶためのゲームなんて海千山千の数があるし、その中には優秀なインスピレーションが含まれているものはたくさんある。同人でゲームを発表するだけでもすごいことです。
「ゲーミング・シミュレーション作法」という本には、ゲームの作り方が書いてあります。作り方とは言っても、根本的なことが書いてあります。数学やプログラミング言語のハウツー本ではなく、処理アルゴリズムの本でもありません。
ゲームの作り方を知りたかったらご一読してみてください。僕も共感したことですし、別に僕自身のノウハウもあります。
でも、基本的にゲームの作り方として、僕には常識だと思っていたことが、わかっていない方が多い。
インスピレーションは計画通りには現れない。
ゲーム設計だけで生活できている人はいない。
ゲーム設計にかかる時間は過小評価される。
一人で取り組まずに、二人以上で取り組む。
ゲームのテーマに沿った人たちにアプローチしろ。
出版社の大小、ゲーム専門会社へのアプローチ。
記念硬貨A、Bがあって、それぞれ表・裏がある。
| 積の合計 1 | 表B 0.6 | 裏B 0.4 |
| 表A 0.3 | 積 0.18 | 積 0.12 |
| 裏A 0.7 | 積 0.42 | 積 0.28 |
積の法則 二つとも表が出る確率 0.18
和の法則 少なくともひとつ表が出る確率 0.18+0.12+0.42 もしくは 1-0.28
これを能力値A、Bがあって、それぞれ成功・失敗がある。
| 積の合計 1 | 成功B 0.6 | 失敗B 0.4 |
| 成功A 0.3 | 積 0.18 | 積 0.12 |
| 失敗A 0.7 | 積 0.42 | 積 0.28 |
積の法則 二つとも成功が出る確率 0.18
和の法則 少なくともひとつ成功が出る確率 0.18+0.12+0.42=0.72
もしくは 1-0.28=0.72
でもいい。
AとBの能力値の平均とすると、(0.3+0.6)÷2=0.45 この解釈はどうおかしいのか。
積0.18が二回足されているので、
(0.3+0.6-0.18)÷2=0.36
または、能力値の平均とすると、
0.72÷2=0.36
つまり、少なくともひとつ能力値A、Bを成功させて、1/2判定をするか、
逆の手順で、1/2判定してから、少なくともひとつ能力値A、Bを成功させればいい。
参考
[SYS]意図しない合成の典型例
ルールブックのチラ見せになってしまいますが、ソーンダイク先生がまとめたものです。
| 物語文法(ソーンダイク、P.W.1977) | ||
| 規則番号 | ||
| 1 | 物語 | 設定+テーマ+プロット+解決 |
| 2 | 設定 | 登場人物+場所+時間 |
| 3 | テーマ | (事件)*+目標 |
| 4 | プロット | エピソード* |
| 5 | エピソード | 下位目標+試行*+結果 |
| 6 | 試行 | 事件 |
| エピソード | ||
| 7 | 結果 | 事件 |
| 状態 | ||
| 8 | 解決 | 事件 |
| 状態 | ||
| 9 | 下位目標 | 理想状態 |
| 目標 | ||
メモ書き程度にまとめたもの(出典あやふや)ですが、TRPGに戦闘が必要だとか、問題解決が必要だとか、やっぱりそうではない。
ストーリー(物語文法)は、もうちょっと広い範疇を示していまして、上図のようになります。
ですから、「常に」バトルのすごろくで解決とか、ゲーム的意志決定とか、そういうものには縛られないでいいのです。
TRPGはTPOが重要ですから、囲む仲間の過労を癒すとか、夢に突き進む仲間を応援するとか、亡くなって囲めなくなった仲間を偲ぶとか。
プレイするのか。
そして。
プレイするのか。
このへんが重要です。
これをわきまえていると、ココロをぐっと掴むことができます。
展開をストーリーとして、ストーリーの組み合わせの「役」を作るという考え方は、以前にも説明しましたが、ゲーム性と親和性があります。
「トゥームストーン」の一場面です。
パッと見で、ポーカーではないので、なんのゲームをしているかわかりません。
これは、ファロ(ファロウ、フェアロー、ファラオ)というゲームで、19世紀末に遊ばれたトランプゲームです。
FLASHのゲームで無料で遊べる所があります。
アンティークのFARO用のゲームグッズが高値で取引されていますが、もう、プレイされているゲームではないとされます。
ルールは、勝つカードを当てるというもので、賭けたカードは負けカードのとき、チップがなくなります。勝負がない場合、勝ちカードにも負けカードも賭けていないときは、チップはなくならないというものです。
プレイするとわかると思いますが、少額を小さく賭けていると、勝負が成立しないことが多いので、プレイしても、ヒマだったでしょう。
そこで、サルーンでは、娼婦が声をかけやすいゲームだったと想像します。
そういうサルーンの営業形態が今はもうないですから、プレイされなくなっていったのかなあ、と勝手に想像します。
DVDの「トゥームストーン」は、2012年1月現在、再版されていなくてすごく高いです。VHSとDVDの切り替わり時期の発売だったため、レアです。日本語吹替も入っています。
もし、買うなら、VHSの字幕版と吹替版でしょうか。